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戦後80年に寄せて
2025年10月10日に石破茂が発表した所感 ウィキペディアから
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戦後50年談話、戦後60年談話、戦後70年談話は閣議決定を経た首相談話として発表されたが、この所感は閣議決定を経ない石破首相個人の所感として発表された[1]。
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経緯
要約
視点
当初、石破は安倍晋三元首相による2015年の戦後70年談話から10年が経過し、ロシアのウクライナ侵攻など国際情勢の変化も踏まえ日本として新たな見解を示す必要があると判断し、戦後80年談話を発表する方向で検討していた[8]。
しかし、自民党の保守派が反発し、新たな火種となりかけていた[9]。事態を重く見た一人の麻生太郎自民党最高顧問が石破に戦後70年談話は安倍が半年ほどかけて準備したことを伝え、外交上も影響が大きいと説いた[9]。この助言を受けて、石破は周囲に「談話にはこだわっていない」と語るようになり、戦後80年談話の発表は見送る方針を固めた[9]。しかし、石破は戦後の自衛権が限定されている現状への問題意識が強く、「日本の自主独立のためには先の大戦の敗戦は検証が不可欠だ」との強い思いを持っていることから、先の大戦の検証は行い、所感も発表する方向で検討していた[9]。
2025年5月7日、自民党の保守系議員連盟「日本の尊厳と国益を護る会」の青山繁晴参議院議員らは、国会議事堂内の林芳正内閣官房長官の事務所を訪ね、先の大戦の検証を中止するよう林に求め、石破宛の要請文を手渡した[10]。要請文では戦後70年談話によって「謝罪外交を明確に終えることになった」とした上で、有識者による検証は「内容に関わらず、中国や韓国、北朝鮮、ロシアにわが国を非難する口実を再び与えることになる可能性が高い」と懸念を示した[10]。また、先の大戦の検証は「わずか数カ月で完了できるものでもない」とも強調した[10]。これ以降護る会は同様の要請を8月、9月、10月の計4回行った[11]。10月の要請書では2025年自由民主党総裁選挙の候補者5人のうち、高市早苗と小林鷹之が戦後80年見解は不要との認識を示すなど[12]、高市総裁ら3人が見解の発出を「不要」だと主張したことを踏まえて、「党内対立を生まないためにも、新総裁に外交上の負担、政治的束縛をもたらさない判断を切に求める」と訴えた[11]。石破は9月の要請書までの3回は林官房長官や石破事務所を通じて受け取っていたが、10月の要請書は「受け取り致しかねる」と青山側に連絡してきた[11]。要請書の受け取りを拒否した理由は明らかになっておらず、青山は「反論があるなら、おっしゃっていただきたかった」と述べた[11]。
8月15日、石破は戦後80年談話の発表を見送った[13]。
石破は国際法的に戦争が終結したのは対日戦勝記念日の9月2日だと言及し、同日に所感を発表することを検討していた[14]。しかし、同日に自民党が大敗した第27回参議院議員通常選挙の総括案が報告される両院議員総会が予定されており、石破の見解表明に否定的な保守派が反発する展開が懸念されることから見送った[14]。
9月、石破は10月4日の2025年自由民主党総裁選挙終了後の同月中に所感を発表する方向で最終調整に入った[15]。
9月24日、石破は訪問先のニューヨークでの記者会見で戦後80年に当たり、先の大戦を巡る見解を発表する方針を初めて明言した[16]。「メッセージという言い方で、私なりの考え方を述べたい」と表明し、開戦を防げなかった経緯や、戦争の記憶の継承を重視する考えを示した[16]。
10月2日、同月10日に所感を発表する方向で調整していることが明らかになった[17]。記者会見を開いて説明する方向で調整していた[17]。
10月5日、1940年2月の帝国議会で斎藤隆夫元衆議院議員が行った反軍演説に言及することが明らかになった[18]。
10月7日、日米開戦前に若手官僚ら精鋭を集めた「総力戦研究所」が「日本必敗」と予測したにもかかわらず、戦争に突き進んだ経緯に言及することが明らかになった[19]。「総力戦研究所」は石破の愛読書として知られる猪瀬直樹のノンフィクション小説『昭和16年夏の敗戦』で取り上げられており、3月の参議院予算委員会で質問に立った猪瀬に著書の感想を尋ねられ「総力戦研究所は、いかなる理由があっても戦争を始めてはならないと結論付けたが、顧みられず悲惨な道をたどった」と強調していた[19]。また、8月に会食した小泉純一郎元首相からも『昭和16年夏の敗戦』を参考に見解を作成すべきだと助言を受けており、「読んで非常に感銘を受けた」と語っていた[20][19]。
10月8日、石破は北岡伸一東京大学名誉教授と内閣総理大臣官邸で面会し、見解を巡って意見交換した[21]。北岡は戦後70年談話を検討した有識者会議の座長代理を務めていた[21]。北岡は面会後、記者団に「首相(石破)は『なんで戦争になったのか』ということに強い関心を持っている」と説明し、先の大戦が開戦に至るまでの経緯は過去の談話であまり言及されていないと指摘し、「(見解は)70年談話を上書きするものにはならない」と述べた[21]。
10月10日、石破は所感を文書として発出した[22]。同日行われた記者会見は約90分間にわたり、記者団からの質問が出尽くすまで続いた[23]。石破は会見冒頭の約20分間で所感の概要を読み上げた後、計19人の記者の質問に応じた[22][23]。首相会見は通常1時間以内で終了することが多く、首相辞任の意向を表明した9月7日の緊急会見の時間は約45分間で、記者の質問を打ち切っていた[23]。共同通信は今回の記者会見が長時間となった背景には、戦後80年所感に込めた石破の思いがにじんだと言えるとしている[23]。
10月11日、石破はFNNの単独インタビューに応じ、所感の意義について「必要なのはリアリズムなんだと思っているんですよ。ファンタジーではなくてね。非合理だけど、勇ましくて情緒的なほうに引きずられるんだよね、世論てね」と述べ、戦前についての歴史教育が重要だとの考えを示した[24]。同日、東海テレビの単独取材にも応じ、「あえて敗戦後というけど、敗戦80年、昭和100年、そこで総理大臣をやっています。戦後50年、60年、70年、80年の節目としては、おそらく今年が最後なんでしょう。(戦後)80年に、とにかく内閣総理大臣、石破茂としてメッセージを出さなきゃいかん。これは使命感だった」と首相としての使命感が所感の発表につながったと思いを語った[25]。また、第二次世界大戦中の岐阜空襲や名古屋空襲にも言及し、若い世代が地域に根差した近現代史を学ぶよう政治家も含めて努力することが、戦争抑止に繋がるという見方を示した[25]。
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内容
要約
視点
過去の談話ではなぜ戦争を回避できなかったのかという点にあまり触れてこなかったとし[26]、大日本帝国憲法、当時の政府、議会、メディアにどのような問題があったか分析している[27]。
はじめに、歴代内閣が戦後談話で示した歴史認識を引き継ぐことを明言している[28]。その上で、過去三度の談話では「なぜあの戦争を避けることができなかったのか」という点に触れられていないことを指摘している[29]。開戦前に内閣が設置した「総力戦研究所」や陸軍省が設置した「秋丸機関」などの予測では敗戦は必然であり、多くの識者、政府及び軍部の首脳陣も戦争遂行の困難さを認識しながら、なぜ、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜の命を犠牲とする結果となってしまったのか[29]。米内光政元首相の「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう注意願いたい」との指摘もあった中、なぜ、大きな路線の見直しができなかったのか[29]。「戦後80年の節目に、国民の皆様とともに考えたい」として以降でこれらの点を検証している[29]。
大日本帝国憲法の問題として「大日本帝国憲法の下では、軍隊を指揮する権限である統帥権は独立したものとされ、政治と軍事の関係において、常に政治すなわち文民が優位でなくてはならないという『文民統制』の原則が、制度上存在しなかったのです」と同憲法に文民統制の原則が制度上存在しなかった点を指摘している[29][27][3]。
政府の問題として「次第に統帥権の意味が拡大解釈され、統帥権の独立が、軍の政策全般や予算に対する政府及び議会の関与・統制を排除するための手段として、軍部によって利用されるようになっていきました」と政府が統帥権干犯問題などを機に軍部への統制を失ったと分析した[29][3]。
議会の問題として1940年の帝国議会で戦争の泥沼化を批判し、戦争の目的について政府を厳しく追及した斎藤隆夫元衆議院議員の反軍演説に言及[27]。斎藤が演説を理由に議会を除名されたこと、当時の議事録の3分の2が今も削除されたままであることを挙げ、議会が軍に対する統制を果たせなかったことを指摘した[注釈 1][27][3]。
メディアの問題として戦争報道は売れることから戦争が長引くにつれ戦争を積極的に支持する論調だけを伝えたメディアの姿勢を指摘した[29][26]。
情報収集・分析の問題として国際情勢、軍事情勢を正しく分析し適切に共有する情報収集・分析能力があったのかという問題を指摘した[29][26]。
石破はその上で、現在はこれらの問題に対処する制度的な手当ては行われたとしつつ、「無責任なポピュリズム」や「偏狭なナショナリズム」を許してはならないとし、「我々は常に歴史の前に謙虚であるべきであり、教訓を深く胸に刻まなければなりません」と訴えた[29][3]。
記者会見
自民党内では、所感の必要性について懐疑的な見方が多く、特に保守派の議員には、戦後70年談話で「歴史の問題は決着がついた」との意見が根強く、首相退任直前の発表に公然と反対する声が出ていた[32]。こうした批判に対し、石破は10月10日の記者会見で「いいかげんな考えで書いたものではない。首相として出す責任は十二分に自覚してつくった」と反論した[32]。所感は約20回の推敲を重ねたと胸を張り、1時間半にわたって歴史への思いを語った[32]。
会見で石破は「いわゆる保守派とされる方々、具体的には青山繁晴議員の『こんなものは出すべきではない』というご発言は承知しているが、70年談話で提起された、『なぜ日本の政治システムは機能しなかったのか』ということについて、私なりに考え、論じたものだ。歴史認識等々については、今までの談話を踏襲しており、触れていない。ご批判は『70年談話でもう終わっているのではないか』ということだと承知しているが、それを引き継ぐものだ。ご批判には当たらない」と説明した[33]。
所感の作成経緯については「きっかけは防衛庁長官のころに、猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦』を読んで、知らなかったことに愕然とした経験がある。その後、猪瀬さん、保阪正康さん、半藤一利さんなど、総理の職務の中、そんなに時間があるわけではないが、自分として読める限りの書籍は読んだ。十分だとは思っていないし、知らないことだらけだと反省することばかり。それでも学んできたこと、感じたことをまとめたのが今日になったということだ。これから先も考えを深めていかなければならないと思っている」と述べた[33]。
加えて、「歴史の授業は明治維新、日露戦争のあたりで終わってしまう。戦後80年を経て、かなり客観的に歴史に向き合う時代になっていると思う。あの戦争に行った人たちが、齢100に達しようとしている。そういう方々がご健在であるうちに、今こそ学ばなければならないと感じているし、国民の皆様とともに学ぶことが政治家の責務だ」と訴えた[33]。
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反応
日本国内
政界
- 赤嶺政賢(日本共産党所属衆議院議員)
- 「戦後80年で問われるべきは、米国追従の大軍拡に突き進み、戦争の危険を高めている現在の自民党政権の安保政策だ。それを抜きにした所感では意味をなさない。憲法9条を生かした徹底した平和外交こそ歴史の教訓だ」とコメントした[34]。
- 安住淳(立憲民主党幹事長)
- 「戦後、戦前の総括をするのは決して悪いことではない」とする一方、「マネジメントとして疑問だ」と公明党の自公連立政権離脱表明と日程が重なったことを皮肉った[35]。
- 新垣邦男(社民党所属衆議院議員)
- 「『文民統制』の重要性を丁寧に論じ、評価できる内容だ。一方、自民党内への配慮からか『お詫び』の文言がないのは残念。退陣間際の表明で、『談話』でなく閣議決定を経ない『所感』であることから首相の苦悩が伺える」とコメントした[34]。
- 伊波洋一(無所属〈沖縄の風〉参議院議員)
- 「石破首相は戦争を軍部の責にした。今は自民内閣が平和憲法に反し、『集団的自衛権の行使』を閣議決定して敵基地攻撃ミサイルまで開発・配備する。国土の戦場化でなく、対話外交に戻るべきだ」とコメントした[34]。
- 金城泰邦(公明党所属衆議院議員)
- 「談話には総理の深い見識が表れていた。国際情勢が不安定だからこそ、国民が安心できる日本になるために今、何が必要なのか。無謀な戦争を起こした過去の歴史を振り返り、誤った判断に走ることを戒める内容だ」とコメントした[34]。
- 國場幸之助(自民党所属衆議院議員)
- 「平和国家の創造には沖縄戦を含め尊い命を犠牲にした大戦の歴史からの学びを次世代に継承するという絶え間ない真摯な営みが最重要。何故、先の戦争は回避できなかったのかという反省と教訓、不戦の誓いの総理所感だ」とコメントした[34]。
- 島尻安伊子(自民党所属衆議院議員)
- 「過去の首相談話を継承した上で、戦争をなぜ回避できなかったのか、旧憲法下や行政、立法、メディアまで網羅的な視点で検証されている。文民統制と民主主義を基盤に国際社会の平和と繁栄を目指す覚悟が伝わる内容だ」とコメントした[34]。
- 高良沙哉(無所属〈沖縄の風〉参議院議員)
- 「『戦争の教訓』に言及しながら侵略戦争への謝罪がない。戦争準備に反対する国民の政治的表現の自由を『妨害』と一蹴する大臣や軍拡ありきの風潮に警鐘を鳴らすべきだ。軍拡ではなく、外交努力こそ平和への道を拓く」とコメントした[34]。
- 玉城デニー(沖縄県知事)
- 「二度と戦争による惨禍を繰り返してはならないとする決意を表明した意義は大きい」と評価[36]。
- 「これまでの総理談話には十分に触れられてこなかった『なぜあの戦争を避けることができなかったのか』についての見解が示されている」と指摘した一方、沖縄の現状について言及がないとして「やはり残念だ」とした[36]。
- 玉木雄一郎(国民民主党代表)
- 「戦争に至った体制の問題が洞察されたのは新しい。一定の意義がある」と評価[35]。「首相は極端な方向に行きがちな民意や、それを受けた政治の在り方に戒めを促したいのだと感じた」と指摘し、「政治家もメディアも、歴史に謙虚に向き合うことが必要と思い出させる」と強調した[35]。
- 田村智子(日本共産党委員長)
- 「侵略戦争と植民地支配に対する反省が全く述べられていない」「天皇の絶対的な権力による専制政治を不問にしていると、何の教訓も引き出すことはできない」と批判した[35]。
- 辻元清美(立憲民主党所属参議院議員)
- 「マーカー引きながら読んだら、黄色だらけになってしまった」「石破さんの長年にわたる考えや思いが滲み出ている」と評価した上で、所感の「無責任なポピュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家としての矜持と責任感を持たなければなりません」「政治は一時的な世論に迎合し、人気取り政策に動いて国益を損なうような党利党略と己の保身に走っては決してなりません」の部分について、「これ、高市さんに釘を刺したかったのかしら?」と指摘し、「このタイミングでの発表には執念を感じる」「もちろん私自身への戒めにもしますよ、石破さん」とポストした[37][38]。
- また、石破に「よかったよ。色々、おつかれ様でした」と思わずショートメールを送ったことを明らかにした[37][38]。
- 西田昌司(自民党所属参議院議員)
- 教えて!ニュースライブ 正義のミカタにゲスト出演し、「(見解を出すことに我々は)反対でしょう」と述べ、「だって退任が事実上決まってるのに何か発言すること自体全く意味がない。意味がないことをやりたいのは、自分の名前を残しておきたいということ。(石破氏の見解を)ちょっとしか見てませんが、あの時の世界情勢に(ついて)何も言ってない。その解釈…日本の解釈と東京裁判の解釈が違う。(でも)学者も含めて検証を誰もやっていない。石破さんにはその資格すらない。イタチの最後ナントカみたいなものですね」と批判した[39]。
- 西銘恒三郎(自民党所属衆議院議員)
- 「戦後80年の節目に恒久平和を希求する、政治家石破茂総理の強い信念が見える。広島、長崎、沖縄、全国が発信する憲法理念の恒久平和にも通じる総理の想い。日々の努力で平和維持を肝に銘じたい」とコメントした[34]。
- 福島瑞穂(社民党党首)
- 東京新聞の取材に「歴代の歴史認識を引き継ぐとしながらも、(戦後50年の)村山談話にあった『侵略』や『植民地支配』の文言がどこにもないことは非常に物足りなく、残念だ」と述べた[40]。福島は石破が退陣表明した直後の9月10日の記者会見で「最後の最後に戦後80年談話を出したらどうですか。歴史に残ります。最後っ屁というと言葉が悪いですが、総理大臣として是非やってください」と述べていたが、「最後っ屁として迫力不足だった」と手厳しい感想を述べた[40]。
- 藤田文武(日本維新の会共同代表)
- 発表の時期と形式を疑問視して、「閣議決定を経ず、非公式か公式かよくわからないような形で出すのはどうなのか」と述べた[35]。
- 宮崎政久(自民党所属衆議院議員)
- 「談話は、政府や議会等が開戦を阻止し得なかった国内の要因をまとめたものだが、戦争には相手がおり、国際情勢の分析も不可欠だ。戦争の惨禍を繰り返さないよう内政、外交両面で政治がその責任をしっかり果たしていく」とコメントした[34]。
- 山川仁(れいわ新選組所属衆議院議員)
- 「国民の声が届いていない所感だ。自衛隊に政治発言を促すのは文民統制を揺るがす危険な発想。米軍訓練が続く沖縄の現実を直視し、米国隷属主義から脱却、沖縄を植民地化から取り戻すことが国民主権の正しい方向性であると享受してほしい」とコメントした[34]。
- 屋良朝博(立憲民主党所属衆議院議員)
- 「『歴史の教訓は大切だ』との談話は、まるで気の抜けた炭酸水のように響いた。戦後80年の節目に、日本が世界へどのような平和のメッセージを発するのか注目していたが、内容には失望を禁じ得ない」とコメントした[34]。
学者
- 佐道明広(中京大学教授)
- 「石破茂首相の所感を読んで、歴史をよく勉強していると感心した」が、石破が挙げた歴史上の問題は今、現実に起きていることと重なり、そうした状況に危機感を持ちながら止められず、「危機感は示したが、反省は書かれず、自ら(石破)の限界も示した文書と言える」と述べた[41]。
- 藤井聡(京都大学大学院工学研究科教授)
- 正義のミカタに出演し「日本は議員内閣制の国。国会の代表が内閣総理大臣。もう総裁じゃなくなってる。ヒラの議員。離婚の調停して判子ついて役所に持っていくのに2、3日かかっているみたいな話(単なる時間的なギャップ)じゃないですか。総総分離って言ってね、総裁と総理大臣が分離している状態って本来の総理大臣じゃない。だからこんなことをする資格は彼には全くないんですよ。許せない!」と述べた[39]。
- 八木秀次(麗澤大学国際学部教授)
- 産経新聞の取材に「石破茂首相の所感は、当時の政府や議会、メディアといった国内事情のみに触れて開戦に至った経緯を説明しようとしているが、新味がない。先の大戦で米英両国と事を構えることになった最大の要因である日中戦争にほとんど触れていないのも実相を映していない。保守層への配慮から歴史認識に関わる問題への言及を避けようとしたのかもしれないが、非常に中途半端な内容だ。また、首相自身が最も訴えたかったであろうアジアへの言及が所感から抜け落ちたことで、中韓両国から過去の首相談話より「後退している」と突っ込まれかねない。今回の所感の法的位置付けが曖昧であることに加え、退陣表明している首相が、首相の肩書で発表することにも違和感を抱く」と述べた[42]。
- 山田健太(専修大学教授)
- 石破が所感で「メディア」の戦争責任に言及したことに触れ、「公権力の長に、ここまではっきりとメディアの戦争責任を指摘され、あるべきジャーナリズム像を語られることは、むずがゆい気持ちにならざるを得ないが、2000年代に入ってからの政府には見られなかったジャーナリズム観であり、こうした姿勢が為政者に求められていることは間違いない」「むしろ、昨今の政治家の言動があまりに真逆で、過去の歴史を顧みず、ジャーナリズムを疎んじ、さらにジャーナリスト活動を自己責任論というような言葉で否定する傾向にあっただけに、新鮮さを感じてしまったところに、今日の言論公共空間のゆがみを反映している悲しさがあると言えるだろう」と述べた[43]。
メディア
- 青山和弘(政治ジャーナリスト)
- 正義のミカタに出演し「過去の談話を否定するんじゃないんだと。ただ、その先に『なぜ戦争を避けることができなかったのか』を追記したいという思いで出した。(ただし)閣議決定もしていない総理大臣の私的な見解。退任が決まっている総理大臣がこういうことを発表する姿勢について議論があるかなと(思う)」と解説した[39]。
- 阿比留瑠比(産経新聞社論説委員兼政治部編集委員)
- 所感は明治憲法、政治システム、ジャーナリズムの在り方といったあくまで国内の問題に絞られ、日本が置かれた国際情勢への言及は乏しいと述べ、所感にある「二度とあのような惨禍を繰り返すことのない」日本をつくろうにも、独善に陥らないかと指摘した[44]。
- 石破が10月7日に小泉純一郎元首相や山崎拓自民党副総裁と行った会食後、山崎が記者団に「首相の足跡として残されたらいい」と述べたことに触れ、もし石破がそのような気持ちだとしたら、所感は首相の思い出作り、自己顕示と存在証明のための政治の私物化だと述べた[44]。
- 江川紹子(ジャーナリスト)
- 「首相会見にしては珍しく(私自身は初めての経験だった)、質問が尽きるまで質疑応答は続き、会見時間は1時間半に及んだ。そこからも、この『所感』についてはたっぷり時間をとって語りたい、という石破首相の熱意が伝わってきた」と評価した一方、「石破首相自身も認めているように、『所感』はもっぱら国内に向けられた内向きのもので、海外の人たちには伝わりにくい。歴史認識や責任論に触れないという縛りを設けてしまったために、曖昧な表現となり、場合によっては意図が誤解されて伝わりかねないのではないか、とも思った」としている[45]。
- しんぶん赤旗
- 「歴史認識に関し、歴代内閣の立場を引き継ぐと表明するだけで、日本の過去の植民地支配と侵略には一切言及していません」と指摘[46]。一方で、「なぜあの戦争を避けることができなかったのか」について記述していると述べている[46]。
- 膳場貴子(フリーアナウンサー)
- 9月12日に出演したサンデーモーニングで「歴史に学ぶ姿勢に重み、迫力を感じました」と私見を述べた[47]。
- 田原総一朗(ジャーナリスト)
- 「総理辞任が決まった後の石破さんの80年談話、彼の信条を誰に気遣う訳でもなく率直に語っており非常に力強かった。ポピュリズムに警笛を示し、リアリズムの立場で政治を語れる人間はすっかり少なくなってしまった」と評価した[48]。
団体
- 佐久間邦彦(広島県原爆被害者団体協議会理事長)
- 石破が所感で植民地支配や侵略に言及しなかったことについて「侵略戦争という位置付けは首相の中にもなく、戦争が起きたのはやむを得なかったと思っているように感じた」と指摘[49]。「もっと早く出すべきだった。けじめとして話をしようとしたのではないか」と述べた上で「誰が首相になろうとも、核兵器のない世界、平和な世界は今後も追求してほしい」と日本政府に期待を寄せた[49]。
- 瀬名波栄喜(元全学徒の会共同代表)
- 沖縄戦を反省事項として「触れてほしかった」と語った[50]。
- 南西諸島で軍事増強が進み、戦場化を想定して国民保護法に基づく避難計画が八重山列島や宮古島で策定されることについて「反省しているということであれば、絶対に避難させるような状況を作ってはいけない。しかし今、再び沖縄戦前夜の状況が繰り返されようとしている」と指摘[50]。「台湾有事」を喧伝し、軍事増強を進める状況に「外交によって問題を解決しなければならない。沖縄戦を繰り返さない決意がどれだけあるのか」とその本気度を問うた[50]。
- 「われわれは天皇のために死ねる教育を受けてきた。反省事項に皇民化教育は当然入れてもいいと思うが入っていない」と不満を示した[50]。
- 箕牧智之(日本原水爆被害者団体協議会代表委員)
- 「被爆者は核廃絶や国家補償をずっと訴え続けている」とした上で、所感にそうした内容は盛り込まれていなかったと指摘し、「戦争の責任は今を担う政治家が引き継ぐべきだ」と訴えた[51]。
その他
- 竹田恒泰(政治評論家)
- 「石破総理よ何をしている。今こそ解散を打つべきではないか。いま総選挙をすれば自民は岸破内閣で失った議席を大きく増やすだろう。それでこそ歴史に名が刻まれるというもの。80年の個人の感想を述べている場合ではない。連立から解脱した公明党は入滅へ向かう」とポストした[52]。
- 西村博之(実業家)
- 「戦後80年談話を石破首相が出しましたが、怒りを次世代に伝えなかった僕らの祖父母である戦後の日本人の知恵と覚悟を各国にも伝えられたら、世界中で起きている憎しみ合いも減らせるのではないかなぁ、、と。。。」「僕らの祖父母の世代が残した矜持と愛国心は、外国人に対して憎しみやヘイトを撒き散らすのではなく、手を取り合う社会であるはず」とポストした[53][54]。
国外
政界
メディア
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脚注
関連項目
外部リンク
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