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新井勝也

日本の野球選手 ウィキペディアから

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新井 勝也(あらい かつや、1993年5月6日 - )は、千葉県船橋市出身[1]日本プロ野球選手内野手)。

概要 ハミルトン・カーディナルス, 基本情報 ...
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経歴

要約
視点

独立リーグ入団前

小学1年生のときから少年野球チームで野球を始める[2][3]。6年生時にはキャプテンを務め、千葉県大会で準優勝。当時のポジションは遊撃手[2]。中学時代は硬式野球の船橋シニアでプレー[3]

高校は野球の推薦で千葉県立千葉商業高等学校に進学[3]。クリーンナップを任され、この頃から二塁を守るようになる[2]。3年間で甲子園大会には出場できず、最高は県大会ベスト16[3][4]

大学も野球の推薦で千葉県大学野球連盟清和大学法学部に進学[3]。大学では、遊撃、二塁のほか、三塁も守った[5]。大学卒業後には独立リーグを経由してのNPB入りを目指したが、4年生の春に右肩を脱臼[3]。手術を受け、医師からの診断では完治まで1年かかるとされ[4]都市対抗野球大会常連の社会人野球チームからのオファーもあったが、その肩の具合から辞退した[2]

大学卒業後は上京し、飲食店に就職。その会社がスポンサーをしているクラブチーム新波に入団した[3][4]。野球を優先する契約だったが、働きながらリハビリや練習をする中で肩の完治に2年を要してしまい、野球ができない状態が続いた[3][4]

2017年秋に独立リーグ・四国アイランドリーグplusのトライアウトを受験。肩の状態はまだ万全ではなかったが、年齢のこともあり強行出場した。守備力がリーグ関係者の目に留まり、愛媛マンダリンパイレーツへの入団が決まった[4]

独立リーグ入団後

愛媛1年目の2018年はレギュラーを確保できず、控えに回り[3]、半分程度の試合にしか出場できなかった[4]

2019年は肩の状態が万全になり、二塁のレギュラーを奪取する[4]。上位打線を中心に全70試合に出場し、リーグ11位の打率.253、チーム2位の16盗塁の成績を残す[4][6]。シーズン終了後には四国IL選抜チームの第2次選抜メンバーとして、みやざきフェニックス・リーグに後半戦から参加した[7]。オフは打撃力向上を目指し、フィジカルトレーニングに励んだ[2]

しかし、2020年は打撃が向上せず、打率は.231に終わる。シーズン終了後、任意引退で愛媛を退団した。なお、新井によると表面上は任意引退だったものの、実質的には成績・年齢面からの自由契約であったという[4][5]。なお、NPB入りを目指しながらも、愛媛での3年間で調査書は1通も届かなった[5]

同年オフ、九州地方に新たな独立リーグ・九州アジアリーグが発足。同リーグの大分B-リングスのトライアウトを受験し、同球団への入団が決まった[4]。大分1年目の2021年はチームの専任選手では最年長であったことや、四国での3年間の経験を買われ、初代キャプテンに任命された[4][5][8]。新井はこの年をNPB挑戦のラストシーズンと位置づけ、野球道具費や生活費、活動費、スポンサー集めのための資金援助を目的としたCAMPFIREでのクラウドファンディングを実施した[4][5][9][10]。レギュラーとして出場を続けたが、この年もNPBから声はかからなかった。しかし、九州での1年間のプレーを通し、現役続行を決意した[11]

シーズン終了後、10月25日にいったんは2022年から選手兼任でコーチに就任することが発表されたが[12]、11月29日に「アメリカ野球への挑戦」を理由に大分を退団することが発表された[13]。アメリカ野球挑戦のために再度、CAMPFIREでのクラウドファンディングを立ち上げ[14]、トラベリングチームのアジアン・ブリーズに参加してアメリカでの移籍先を探した。

プレー予定のアメリカのリーグの開幕まで期間があり、2022年4月27日、大分に選手として復帰することが発表された[15]。背番号は前年とは異なる55を着用した[15]。そして、6月よりリーグ戦の始まる北米独立リーグのエンパイア・リーグ英語版に参加するため、5月24日に自由契約となった[16]

6月からエンパイア・リーグのジャパン・アイランダーズ英語版に入団し、シーズン初戦から先発出場した[17]。7月後半からはプラッツバーグ・サンダーバーズ英語版に移籍してプレーした[18]

8月17日、大分への2度目の復帰が発表され、背番号は前回とも異なる56番となる[19]。シーズン終了後の12月16日、自由契約となった[20]

12月14日、北米独立リーグでMLBパートナーリーグ英語版に認定されているフロンティアリーグエンパイアステート・グレイズ英語版と契約を結んだことを発表した[21]2023年は8試合の出場にとどまり、打率.154、0本塁打、2打点の成績に終わっている[22]

2024年2月21日、カナダインターカウンティ・ベースボール・リーグ英語版ハミルトン・カーディナルス英語版と契約を結んだことを報告した[23]。アメリカではニューヨークの日本食レストランで働きながら練習を行っていた[24]

2024年限りでアメリカのビザが切れることもあり、ドミニカ共和国に渡る。大分で同僚だった選手の知り合いの実家に住まわせてもらい、2025年は同国のサマーリーグでプレーしている[25]

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選手としての特徴・人物

守備範囲が広く、安定感のある守備や、俊足を持ち味とした内野手[2][6]。独立リーグ入りしてからは内野の中で一番動き、頭を使うポジションだとして魅力を感じ、二塁手としてプレーする[4]。愛媛時代の1年目はフィールディングに挫折を感じたものの、2年目、当時コーチだった白根尚貴からグラブを借りると、捕球率が格段にあがり、守備に自信をつけていった[4][5]。一方、打撃力を課題とする[2][4]

小学生の頃からプロ野球選手になりたい思いを持っていたものの、高校時代まではそこまで強く思っておらず、高校3年時には制度も知らなかったこともあり、プロ野球志望届を提出しなかった[3]

野球を始めたきっかけはテレビに映るイチローに憧れたことから[2]。のちに青木宣親も目標とした。なお、両選手ともに外野手であるものの、新井は一貫して内野手であるが、これは当時、守備には興味がなく、バッティングしか見ていなかったためである[3][4]四国アイランドリーグplusのトライアウトを受けたきっかけは、新井と同じ身長で小柄な水口大地が、香川オリーブガイナーズを経てNPB入団を果たした経歴を知ったことから[2]

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詳細情報

独立リーグでの年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
  • 2022年度シーズン終了時
  • 太字はリーグ最高

背番号

  • 4 (2018年 - 2021年、2022年6月 - 7月)
  • 55 (2022年 - 同年5月23日)
  • 25 (2022年7月)
  • 56 (2022年8月17日 - 同年終了)

関連情報

出演

CM

  • 府内産業(2021年)[26]
  • 柴田産業(2021年)[27][28]

脚注

関連項目

外部リンク

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