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新野親良
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新野 親良(にいの ちかよし)は、幕末の近江国彦根藩の一門家老。井伊直弼の異母兄。詩文や書画に巧であった。
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経歴
文化5年(1808年)3月6日、彦根藩第11代藩主井伊直中の十男として生まれた。生母は井伊家の家女で近衛家家士の山田小右衛門清伯の娘。同年3月に筆頭家老の木俣守易の養子となり、木俣中守と名乗る。
文政13年(1830年)10月15日、藩祖井伊直政の恩人の新野左馬助親矩の家を再興し、2000石で別家する。実弟の井伊直弼と同じく長野義言に師事し、直弼が第15代藩主となると、嘉永4年(1852年)には家老となり藩主、幕府大老の弟を支えた。
安政7年(1860年)3月に桜田門外の変で直弼が暗殺されて後は、息子の河手良貞(武節貫治)や甥の井伊亮寿(貫名亮寿)(井伊中顕の子)らと共に、少年藩主の井伊直憲を補佐した。万延元年(1860年)12月、弘道館御用係、後に弘道館総裁を務める[1]。元治元年(1864年)の禁門の変では藩兵を率いて御所を守護した。
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脚注
参考文献
外部リンク
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