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昌傳庵

宮城県仙台市若林区荒町にある曹洞宗の寺院 ウィキペディアから

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昌傳庵(しょうでんあん)は、宮城県仙台市若林区荒町にある曹洞宗寺院新字体を用いて「昌伝庵」と書く場合もある。山号は奕葉山(えきようざん[1])。

概要 昌傳庵, 所在地 ...
概要 全ての座標を示した地図 - OSM ...

歴史

出羽国舘山城北緯37度54分43.5秒 東経140度3分48.8秒)を本拠としていた伊達尚宗が、亡くなった3男の久松丸の供養を目的として、現在の山形県立米沢東高等学校北緯37度54分45.1秒 東経140度6分19.2秒)の辺りにあった新町(あらまち)に永正3年(1506年)に開基[1]し、總持寺前住で越前大芸寺5世だった喜山高悦を招いて開山した[2]伊達政宗の転封に伴って、陸奥国岩出山城北緯38度39分17.5秒 東経140度51分46.9秒)の城下町へ、さらに仙台城の城下町へと移転し、現在地(北緯38度14分52.1秒 東経140度53分0.3秒)に伽藍が創設された。「米沢六町」の1つである新町も、伊達氏の移封に従って岩出山に移って新町と称し、仙台に移ると荒町と称した。寛永5年(1628年)頃、若林城造営により仙台城の城下町も拡張され、それに伴って荒町も現在地へと再度移転したため、昌傳庵は米沢でかつて所在した町の流れをくむ町に再び存立することになった。

江戸時代松音寺泰心院輪王寺とともに仙台藩曹洞宗4ヶ僧録司の一つとされる。また、仙台藩での寺格は着座格。

明治22年(1889年)に鹿落観音堂仙台三十三観音第33番札所)を管理していた仏経山大蔵寺が昌傳庵に統合されたために、鹿落観音堂の管理寺院となる。

なお、室町時代初期に陸奥国の会津地方に創建された正傳庵が、米沢に移されて伊達氏により昌傳庵として再興されたとの説もあるが、詳細は不明[1]

年表

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葬られている著名人

アクセス

隣接する仏眼寺とは荒町公園を介して往来可能。

同名寺

宗旨も名称も同じである寺院が、現在の山形県米沢市本町に存在する(北緯37度54分6.7秒 東経140度6分43.7秒[2]。当寺院が政宗に従って移転する際、米沢の寺院を廃寺とせずに現在まで歴史をつないだものとされる[2]

参考文献

脚注

関連項目

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