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有智子内親王

嵯峨天皇の第8皇女。初代賀茂斎院 ウィキペディアから

有智子内親王
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有智子内親王(うちこないしんのう)は、第52代嵯峨天皇の第8皇女 。ただし、実際の出生順では第1皇女であった可能性が高い[1]。母は交野女王[2]漢詩人。初代賀茂斎院

概要 有智子内親王, 時代 ...
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生涯

大同4年(809年)、父の嵯峨天皇が即位。弘仁元年(810年)、4歳で賀茂斎院に卜定される。同9年、斎院司開設。同14年(823年)2月、三品に叙され100戸を賜る。同年4月、嵯峨天皇が譲位する。天長8年12月8日(832年1月14日)、病により退下。同10年(833年)、二品に昇叙。承和14年(847年)薨去。享年41。

有智子内親王は弘仁元年(810年)の薬子の変をきっかけに、初代賀茂斎院に定められたと言われる。嵯峨天皇の皇子女の中でも豊かな文才に恵まれた皇女で、弘仁14年(823年)嵯峨天皇が斎院へ行幸した際に優れた漢詩をものしたことから、感嘆した天皇は内親王を三品に叙したという。その詩作は『経国集』などに合計10首が遺されており、日本史上数少ない女性漢詩人の一人である。

陵墓京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町、落柿舎の隣。

脚注

関連項目

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