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源啓
平安時代初期から前期の貴族。従四位上・越前守。母は山田近子(更衣、子に源密姫)。源啓流の祖 ウィキペディアから
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源 啓(みなもと の ひらく)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。嵯峨天皇の皇子。官位は従四位上・越前守。
経歴
母の山田近子は嵯峨天皇の晩年の更衣であったが、啓は特に鍾愛を受けた。勅命により兄の左大臣・源常の養子となるが、常は実の子のように親愛し、日常に必要な器具や玩具を全て与え、才学のある大学生を招いて学問の師となし、書籍を学ばせたという。
文徳朝初頭の仁寿元年(851年)正六位上から六階昇進して従四位上に叙せられる。斉衡3年(856年)越中守、天安3年(859年)加賀守、貞観5年(863年)相模守、貞観11年(869年)越前守と、文徳朝から清和朝前半にかけて地方官をいずれも遙任で歴任した。
仏教への信仰心が篤く、親密にしていた年齢の近い甥の源直(源常の子)と、共に出家しようと常日頃語りあっていた。しかし、その意志を果たせずにいたところ、病を発して重態となったことから出家し、貞観11年(869年)8月27日卒去。享年41。最終官位は従四位上行越前守。
人物
漢文を非常に愛好したが、射術も得意であり、また音楽の才があり歌も得意であった。性格はつつしみ深く温厚であり、兄弟からも尊敬されたという[1]。
官歴
『六国史』による。
系譜
脚注
参考文献
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