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源潔姫
母は当麻治田麻呂の娘(女嬬、子に源全姫(812-882.2.16、尚侍、正二位))。藤原良房の正妻。正三位、贈正一位。史料上確実な臣下の妻となった初めての皇女 ウィキペディアから
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源潔姫(みなもと の きよひめ)は、嵯峨天皇の皇女。母は当麻治田麻呂女。藤原良房の正妻。清和天皇の外祖母。贈正一位。
臣籍降下後の結婚であるが、史料上確実な「臣下の妻となった初めての皇女」である[1]。良房との間に生まれたのは、文徳天皇女御となった明子ひとりであり、他に妻を迎えず後嗣のなかった夫・良房は甥の基経を猶子とした。
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経歴
弘仁5年(814年)、同母妹全姫を含めた7人の兄弟姉妹とともに源朝臣を賜った。これは賜姓源氏の初めである。兄・源信が戸主となる。
弘仁14年(823年)頃、おそらく14歳で20歳の藤原良房と結婚する[2][3]。潔姫は琵琶を得意とし、嵯峨天皇に愛された娘だったという。天長6年(829年)、娘明子を生む。
承和8年(841年)、無位から正四位下に叙せられる。仁寿元年(851年)11月、右大臣であった良房が正二位に昇叙した際、その「家夫人」であるとして潔姫も従三位に昇叙した。女官でなく、(大臣の)妻であることをもって高位に叙された初例である[4]。仁寿3年(853年)3月、正三位に叙せられる。 斉衡3年(856年) 薨去。
脚注
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