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木下俊程
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木下 俊程(きのした としのり)は、豊後国日出藩15代藩主。官位は従五位下、飛騨守。
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経歴
天保4年(1833年)2月6日、日出で生まれる。嘉永7年(1854年)8月18日、兄で先代藩主だった俊方の早世により、その養嗣子として跡を継いだ。同年12月16日、従五位下・飛騨守に叙任する。藩校・稽古堂をさらに増築して致道館を創設し、武道場も新たに創設するなどして教育の普及と充実に尽力した。幕末期の幕政にはあまり関わりを持たず、藩政において外国船警備のために遠見番所を設置し、慶応元年(1865年)からは軍制改革を実施するなどした。慶応3年(1867年)5月29日に隠居し、弟の俊愿に家督を譲った。同年8月20日、35歳で江戸にて死去した。法号は文献院。墓所は東京都港区高輪の泉岳寺。
系譜
父母
養子、養女
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