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木俣守前
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木俣 守前(きまた もりちか)は、江戸時代近江彦根藩筆頭家老。木俣清左衛門家の第8代当主。
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家系
木俣清左衛門家は、徳川家康の家臣で井伊直政に与力として付けられ、後に、彦根藩井伊家の筆頭家老となった木俣守勝に始まる家。楠木正成の孫正勝の末裔を称す。姓は橘氏。家紋は三つ盛鱗。
代々の当主は、「土佐」「清左衛門」を通称とし筆頭家老を務めた。特に、3代守明、5代守盈、10代守彝は執権職(幕政では大老に相当)に就いている。知行高は1万石。
生涯
明和2年(1765年)11月11日、彦根藩筆頭家老木俣守将の子として生まれる。天明2年(1782年)11月、部屋住みながら家老となり、藩主直幸に仕えた。
寛政6年(1794年)9月、藩主直中が左近衛少将に昇進し、口宣御礼使者(叙位任官の勅命文書を伝奏から受け取る使者)を務めた。
寛政9年(1797年)2月、父守将の隠居により家督を相続し筆頭家老となる。寛政11年(1799年)4月、藩主直中に近江と山城の御鷹場巡見の供を命じられた。7月、直中に藩校稽古館開設を命じられる。
参考文献
- 彦根博物館編「彦根藩筆頭家老木俣清左衛門家資料」
- 東京大学史料編纂所「彦根藩家中貞享異譜」
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