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木原さとみ

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木原 さとみ(きはら さとみ、1971年7月4日 - )は、日本の元歌手アイドル。女性アイドルグループ・東京パフォーマンスドール(TPD)のフロントメンバーであり、初代リーダーを務めた。

概要 プロフィール, 生年月日 ...

鹿児島県生まれ、福岡県出身。姉が1人いる[1]。夫はテレビプロデューサー西山仁紫

略歴・人物

要約
視点

同郷出身だった松田聖子に憧れて、小3で歌手を志し[2]、地元の福岡県でCMや歌謡祭などに出演した。平尾昌晃ミュージックスクール福岡校、ジャパン・アーチスト音楽学院東京校で音楽を学ぶ。

父親から地元に進学して欲しいと言われ、福岡の高校に入学したが、父の転勤もあり東京の高校に転校[2]。高校在学中に雑誌『週刊少年チャンピオン』で読者投票によりミスチャンピオンに選ばれた[2](3名の中には鈴木蘭々がいる)。その後、横浜でスカウトされテレビ東京のバラエティ番組『少女雑貨専門TV エクボ堂』のレギュラーとなる。 当初は同じ事務所[3]篠原涼子とユニットを組むと言われていたが、そこに川村知砂も加わり3人組でデビュー[2]

1990年6月、さらにメンバーは増員され、東京パフォーマンスドール(TPD)を結成することになり、リーダーも任された[2]。TPDではフロントメンバーとして活動していたほか、篠原涼子・川村知砂とともにグループ内ユニット「ゴルビーズ(GOLBIES)」としても活動した。

1993年に日本武道館2days、94年に横浜アリーナ公演を成功させるが、達成感から人気メンバーの卒業が相次いだ[2]。メンバーの補充などもあったが、木原はポジションが端へと追いやられてしまい[2]、1995年10月に東京パフォーマンスドールを卒業した。

ソロ歌手に転向し[2]、1996年にアニメ映画『魔法陣グルグル』の主題歌「金のトビラ」を、作者の衛藤ヒロユキYMOのプログラマーとしても知られる松武秀樹とのユニット「サトミキハラ with ラジオハート」としてリリース。声優の仕事にも挑戦した。1998年にユニット「Hi-Tech Kinema」のボーカルを担当し、シングル「Hey! La La」をリリースしたが、この年をもって歌手活動も終了した[2]

その後は、デザイナーとして活動を始め、『chocola tiere』(ショコラ・ティエール)というブランドを設立し、ファッションアイテムのデザインを手掛けた。インテリアコーディネーターとして、TBSの情報番組『ジャスト』で“お部屋改装計画”コーナーを担当。福岡のテレビ番組でもインテリアコーディネーターとしてレギュラーを持っていた。イラストレーターとして、2003年には東京パフォーマンスドールのメンバーだった穴井夕子の著書『命にあいたくて Baby meet mama』の挿絵を手掛けた。

2001年9月24日にTPDの衣装デザインを手掛けていたデザイナーと結婚したが[4]、程なくして離婚。2007年11月11日にフジテレビ恋愛バラエティ番組あいのり』のプロデューサーを務めた西山仁紫と再婚。2009年10月4日、38歳の時に男児を出産[5]

2014年8月1日から2016年6月17日まで、インターネットラジオ『帰ってきたパフォーマンスドール TPD RETURNS』(全48回)のパーソナリティーを八木田麻衣とともに務めた。

2020年、東京パフォーマンスドールの30周年ライブイベントに出演[2]

2022年、子育てに専念していたが、それが落ち着いたこともあり、ダンスサークル「パードルダンス部」を作り、月1でダンスレッスンを行っている[2]

2023年7月15日、東京国際フォーラムで行われたイベント「MIND CIRCUS」に川村知砂・穴井夕子・八木田麻衣・木伏夏子の元TPDメンバーで出演。東京パフォーマンスドールの楽曲「キスは少年を浪費する」「ダイヤモンドは傷つかない」などを披露した[6]

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出演

テレビ番組

ラジオ

CM

ドラマCD

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ディスコグラフィ

グループでの楽曲は東京パフォーマンスドール#音楽を参照

シングル

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アルバム

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その他

脚注

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外部リンク

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