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村西良太
日本のプロ野球選手 ウィキペディアから
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村西 良太(むらにし りょうた、1997年6月6日 - )は、兵庫県淡路市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
小学校3年生より野球を始めた[2]。当初は足の速さを活かして、中堅手であったが、小学校4年からは遊撃手を務めていた[2]。淡路市立津名中学校時代はクラブチームのアイランドホークスへ所属していたが、主なポジションは外野であった[2]。
高校は兵庫県立津名高等学校へ進学し、1年秋からベンチ入りを果たしていたものの、控え投手として高校野球を終える[3]。最高成績は2年秋の兵庫県大会3位[4]。近畿大会では和歌山県1位の箕島と対戦し、3回よりリリーフ登板し、失点0の好投を見せた[5]。甲子園出場経験はなし[4]。
大学は近畿大学監督の田中秀昌の強いラブコールにより同大学へ進学[6]。3年秋には10試合に登板し関西学生リーグの制覇に貢献した[7]。大学時代は10球団から調査書が届いていた[8]。
2019年のドラフト会議でオリックス・バファローズから3位指名を受け、11月15日に契約金5500万円・年俸1000万円(いずれも金額は推定)で仮契約を結んだ[9]。背番号は22。担当スカウトは内匠政博[10]。
オリックス時代
2020年は新型コロナウイルスの影響で120試合制の短縮シーズンとなり、開幕も6月に延期されたものの、開幕ローテーション入りを果たした[11]。6月25日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初登板初先発となったが、初回に満塁本塁打を打たれるなど、3回5失点で敗戦投手となった[12]。翌26日に出場選手登録を抹消され[13]、8月9日に中継ぎとして一軍再昇格[14]。同16日の福岡ソフトバンクホークス戦でプロ初のリリーフ登板を果たすも[15]、8月28日に再び登録抹消となり[16]、その後10月1日に右肘の手術(鏡視下右肘頭骨棘切除術・骨接合術)を受け[17]、残りのシーズンはリハビリに費やした。ルーキーイヤーは4試合(1先発)の登板で0勝1敗・防御率9.00という成績に終わり、オフに130万円減となる推定年俸870万円で契約を更改した[18]。
2021年は5月4日に一軍へ昇格し[19]、同日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初ホールドを記録[20]。さらに5月18日のロッテ戦でプロ初セーブ[21]、6月3日の阪神タイガース戦ではプロ初勝利を挙げた[22]。東京五輪による中断期間に伴って7月15日に登録を抹消されると[23]、後半戦の開幕を二軍で迎え、その後2度一軍へ昇格したものの[24][25]、後半戦の一軍登板は1試合(9月29日のロッテ戦[26])のみにとどまった。この年は18試合のリリーフ登板で1勝0敗5ホールド1セーブ・防御率3.75を記録し、12月6日の契約更改交渉では球団からアップ提示を受けるも保留[27]。同15日に行われた2度目の契約更改交渉にて前回と同額(430万円増)となる推定年俸1300万円でサインをした[28]。
2022年は中継ぎとして開幕を一軍で迎え[29]、10試合の登板で1勝1敗4ホールド・防御率2.16を記録していたが、4月27日に新型コロナウイルス陽性判定を受け、離脱を余儀なくされた[30]。離脱後は二軍で調子が上がらなかったものの、平井正史育成コーチのアドバイスで腕の位置を下げると[31]、8月3日に一軍再昇格[32]。9月23日に出場選手登録を抹消されて[33]以降の一軍登板は無く、この年は22試合の登板で1勝1敗8ホールド・防御率4.44という成績であったが、再昇格後は16イニングで21奪三振と奪三振率の向上に手応えを得たシーズンでもあった[31]。オフに400万円増となる推定年俸1700万円で契約を更改した[34]。
2023年は前年よりさらに腕の角度を下げ、アンダースローに転向[35]。4月8日の北海道日本ハムファイターズ戦でシーズン初登板、プロ入り2度目の先発登板となったが[36]、4回途中4失点で敗戦投手となった[37]。翌9日に出場選手登録を抹消され[38]、同30日にリリーフとして再登録されるも[39]、登板機会が無いまま、5月3日に登録抹消[40]。その後は再登録[41][42][43]と登録抹消を3度繰り返し[44][45][46]、この年は7試合(1先発)の登板で0勝1敗、防御率6.17という成績にとどまった。ただ、二軍では22試合(14先発)に登板して6勝5敗、防御率1.73の好成績[47]でウエスタン・リーグの最優秀防御率を獲得した[48]。
2024年は6月27日に出場選手登録され[49]、30日のロッテ戦で5番手としてシーズン初登板。1回を投げ、被本塁打1、与四球2、1失点の内容で、この1登板だけで7月11日に登録を抹消された[50]。その後は再昇格の機会なくシーズンを終え、二軍では19試合に登板(13先発)、5勝5敗、防御率3.65の成績だった[51]。10月3日、球団から戦力外通告を受け、育成契約を打診されていることが報じられた[52][53]。11月20日、育成契約を結んだ[54]。これに伴い背番号も122に変更される。
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選手としての特徴
中学校1年からプロ3年目まではサイドスロー[2]。2022年の秋季キャンプで中嶋監督の勧めを受け、アンダースローに転向した[35]。しかし、転向2年目の2024年、二軍でも結果を残せていなかったことからシーズン終盤にはサイドスローに戻した[53]。
詳細情報
年度別投手成績
- 2024年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2024年度シーズン終了時
記録
- 初記録
- 初登板・初先発登板:2020年6月25日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(ZOZOマリンスタジアム)、3回5失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回裏にブランドン・レアードから見逃し三振
- 初ホールド:2021年5月4日、対埼玉西武ライオンズ8回戦(メットライフドーム)、8回裏に5番手で救援登板、2/3回無失点
- 初セーブ:2021年5月18日、対千葉ロッテマリーンズ10回戦(京セラドーム大阪)、9回表2死に6番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 初勝利:2021年6月3日、対阪神タイガース3回戦(阪神甲子園球場)、7回裏2死に4番手で救援登板、1/3回無失点
背番号
- 22(2020年 - 2024年)
- 122(2025年 - )
登場曲
- 「淡路サンセットライン」Shurkn Pap(2020年 - )
脚注
関連項目
外部リンク
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