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内匠政博
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内匠 政博(たくみ まさひろ、1968年2月24日 - )は、大阪府高石市[1]出身の元プロ野球選手(外野手)、スカウト。
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来歴・人物
リトルリーグ(高石リトル)時代、プロレスラーのスペル・デルフィンとチームメイトだった。
PL学園高校では清原和博、桑田真澄、松山秀明、今久留主成幸らと同期。1985年、高校3年生時の夏の甲子園では1番・中堅手として出場し全国制覇[1]。
近畿大学では酒井光次郎投手や岡本圭治らと同期。1988年 - 1989年、大学3・4年時の大学選手権連覇、4年時の明治神宮野球大会優勝に貢献(3年時の神宮大会は開催中止)。主将を務めた。関西学生リーグ通算81試合出場、322打数96安打、打率.298、3本塁打、29打点。ベストナイン3度受賞。
大学卒業後、社会人野球の日本生命に所属。3年連続で都市対抗野球に出場し、3年目には優勝を果たす。高校、大学、社会人で日本一を経験した。
1992年のドラフト3位で近鉄バファローズに入団[1](日本生命で同僚だった大島公一も同年のドラフト5位で入団した)。背番号はPLの先輩・新井宏昌が着けていた「9」を受け継ぎ、即戦力ルーキーとして期待された。
俊足が持ち味で、入団1年目の1993年から入団4年目の1996年までは中堅手や右翼手の準レギュラーとして出場。因みに、1996年5月25日のオリックス戦に出場した際に満塁ホームランを放っているが、この試合では同じく出場していた中村紀洋とイチローも満塁ホームランを記録しており、日本プロ野球史上初となる一試合3本の満塁ホームランが達成された試合となった。
1997年以降から出場試合数が減っていき、2000年には52試合に出場するも、2001年以降は一軍出場は無く2002年に現役引退[1]。
2006年から2007年までオリックス・バファローズの守備・走塁コーチを務めた。
現在は、オリックス・バファローズのスカウトを務める[2]。2011年9月には、球団公式Twitterアカウント上で試合の解説を行った。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 9 (1993年 - 1999年)
- 37 (2000年 - 2002年)
- 79 (2006年 - 2007年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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