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東山敬司

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東山 敬司(ひがしやま けいじ、1948年7月28日[1] - )は、主に1960年代末から1970年代末頃にかけて活動していた日本俳優。本名同じ、身長181㎝(1969年当時)[2]

概要 ひがしやま けいじ 東山 敬司, 生年月日 ...

略歴

埼玉県大宮市(現・さいたま市)出身[1]。父は自転車の部品を作る工場を経営していたが、当人が4歳の時に事業に失敗、その後も父がギャンブルに凝った末に破産、実質上、一家は全てのものを失ったことで大宮を出て、当人と姉の二人だけは親類の家へ預けられ、後に東京都杉並区荻窪に転居[1]

本人曰く、「近所でも評判の暴れん坊で、ガキ大将」という少年時代を過ごす。小学生の頃から映画好きで、頻繁に映画館に通っていた[1]

杉並区立若杉小学校杉並区立天沼中学校を経て東京都立西高等学校を卒業、一年浪人後、早稲田大学商学部に進学[2][1]。大学生時代の部活はボート部[1]

1968年、母親からもらっていた1年分の授業料8万円のうち、4万円を私用で使い込んでしまってどうしようかと思い、そんな大学1年生の夏休みの時、アルバイトを探していくうちに、東宝映画の内藤洋子の相手役募集の記事が目に入り、そこで賞金目当てで応募して合格し、俳優としての第一歩を踏み出す。同年、東宝映画『兄貴の恋人』でデビュー[1][3]。なお、その賞金20万円は、そのうち4万円を授業料に回し、残った金で洋服を買い、友人たちと飲食しているうちに無くなったという[3]

しかし当初は俳優になろうとは考えたことも無く、最初は映画の仕事をアルバイト感覚で思っていたが、そのうちに俳優の仕事の魅力に取りつかれ、『俺たちの荒野』に出演していた頃には、この俳優の仕事に本気に取り組もうという気になったという[3]

1969年5月12日日本テレビ系にて放映を開始した東宝、テアトル・プロ共同制作の『炎の青春』にてテレビドラマ初主演。酒井和歌子黒沢年男と“トリオ主演”した『俺たちの荒野』(監督:出目昌伸)が『炎の青春』放映中である1969年6月末に公開され、同年12月には『娘ざかり』(監督:松森健)で内藤洋子と共演するなど、東宝製作の映画数本に出演。その後テレビドラマにも数本レギュラー出演していたが、俳優期間は長くなく1970年代後期頃には芸能界を引退した[4]

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出演

映画

テレビドラマ

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脚注

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