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松平直諒

日本の江戸時代後期の大名・俳人・画家・書家。出雲広瀬藩(出雲松江藩分家)8代藩主松平直寛長男で、広瀬藩9代藩主。従五位下佐渡守 ウィキペディアから

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松平 直諒(まつだいら なおあき(なおよし / なおあきら))は、出雲広瀬藩の第9代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家9代。

概要 凡例松平 直諒, 時代 ...
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経歴

第8代藩主・松平直寛の長男。母は内藤政韶の娘。

有能で、俳諧・絵画・書道を嗜むなど多趣味な人物で、歴代藩主のほとんどが江戸定府していたのに対して、直諒は嘉永3年(1850年)に父が死去して家督を継ぐと、ただちに国元に入って製糸業や製油業、和紙、鋳物、陶器、織物(広瀬絣)等の産業奨励、文化の奨励などを行い、領民に善政を敷いた名君であった。このため、領民も直諒を暖かく出迎えたという。文久元年(1861年)7月19日(または9月5日)に広瀬にて死去した。享年45。跡を弟の直巳が継いだ。

直諒の文化政策の遺構は、現在においても広瀬町に現存している。直諒だけが歴代で唯一、広瀬町に墓所が存在する。

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松平直諒の墓(安来市広瀬町・城安寺)

脚注

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