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松村和子
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松村 和子(まつむら かずこ、1962年〈昭和37年〉3月23日[1] - )は、日本の演歌歌手。
北海道[1]天塩郡遠別町生まれ、苫小牧育ち[要出典]。デビュー曲である「帰ってこいよ」で知られる。
来歴・人物
苫小牧市立緑小学校、和光中学校卒業。歌手で北海芸能プロダクション社長の松村一郎は実父。実母は民謡歌手で、民謡茶屋「じょんがら」を経営していた。3人兄弟の真ん中。O型[1]。既婚(死別)[2]。
1980年4月21日、ロングヘア姿で津軽三味線をギターの様に操る、演歌歌手としては異色のスタイルでビクター音楽産業からデビュー[3]。キャッチフレーズは「帰ってきた男衆(やんしゅう)演歌」。デビュー曲の「帰ってこいよ」がヒットを記録し、同年の第22回日本レコード大賞新人賞を受賞した[4]。
翌1981年には『NHK紅白歌合戦』に出場を果たした。その後、シングル「お加代ちゃん」「菜の花咲いてた」「こんな男に惚れてみろ」「かえりの港」「天」などを発売。2008年発売の「風の津軽」では、久しぶりに三味線を弾きながらのスタイルを披露。
1997年ごろからフジテレビ『ものまね王座決定戦』にレギュラー出演。工藤兄弟・大石まどかとのユニットでも出演。出場2度目で優勝した。
2000年10月10日に、 デビュー当時からコンサートのバックバンドでトランペットを担当していた相手と結婚。[2]
2014年11月20日、夫が肝不全のため62歳で死去[2]。一度、肝硬変を患っており、松村を車で空港に迎えに来た帰りに異変に気付き、次の日病院へ向かう話をしていたが、起き上がれない程になってしまい救急搬送。投薬により一時意識を取り戻し、医師から明日退院可能と言われていたが、翌日意識不明となり帰らぬ人となった。[5]
夫が亡くなった後、マネージャーからだいぶ痩せたことを心配され病院へ行き、1型糖尿病が判明したことを、2025年7月2日放送の徹子の部屋で初告白。現在はインスリン注射を打ちながらステージに立っている。[6]
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ディスコグラフィ
シングル
デュエット・シングル
アルバム
- LP
- CD
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主なテレビ出演
- 水戸黄門 第34部 第11話「津軽馬鹿塗り 頑固比べ -弘前-」(2005年、TBS) - おたえ
NHK紅白歌合戦出場歴
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
その他
毎年8月第3土・日曜日に、千葉県市川市で開催される「コルトン盆踊り」のオリジナル曲「えいやさコルトン」(作詞:喜多条忠 作曲:美樹克彦 編曲:伊藤精一)は、松村がボーカルを務めている[7][8][9][10]。
出版物
- フリーペーパー 熟年ばんざい(2025年4・5月号 vol.128「学ぼう・習おう」) - 表紙&インタビュー[11]
脚注
外部リンク
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