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松浦卓造

日本の将棋棋士(1915−1977) ウィキペディアから

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松浦 卓造(まつうら たくぞう、1915年1月22日[1] - 1977年3月11日[2])は、将棋棋士。八段。神田辰之助九段門下[1]広島県三原市出身[1][3]棋士番号なし[注釈 1]

概要 松浦 卓造 八段, 名前 ...

経歴

商業学校を中退後[3]にアマチュア強豪として活躍[1]

入門は遅く、27歳だった1942年に神田辰之助に入門[1]。28歳で二段[3]

1944年に四段に昇段[1]

戦後の1946年順位戦C級クラスに参加、10勝4敗の好成績[3]で六段特進[1]。以後トントン拍子にA級へ昇級。

晩年は病気のために休場する事がしばしばあり[1]第30期順位戦B級2組を休場したのが順位戦の最後となった。

主催者変更問題に伴う順位戦の中断期間の最中、1977年3月11日に現役死去[2][4][5]

人物・エピソード

研究熱心で、豪快な攻め将棋で知られる。いち早く用いた「棒銀戦法」がのちにブームとなる[1]

左美濃戦法(天守閣美濃)や、4二銀型三間飛車破り(▲5五歩△同歩▲4五歩)の創始者である。左美濃は1960年のA級順位戦の加藤博二戦で、はじめて採用した[6]

松浦といえば酒、ケンカに本間爽悦[7]のような体格に一番の趣味がケンカ。いっぺん熊と勝負したいと吹いていた[7]。昼間に茶碗で濃いお茶を飲んでいると思ったらウイスキーをガブ飲み。東京に出てきて新宿二丁目のボッタクリバーに連れ込まれ高額を請求されたが、二人のホステスを片手ずつ持ち上げ顔と顔とをガチンコさせた。「あの女達はしばらく使いもんにならんかったじゃろう」と言っていたという[7]

恵まれた巨体、抜群の腕力の一方、病気がちであった[1]

趣味は囲碁(三段)[1]盆栽[1]

昇段履歴

  • 1942年00月00日 : 入門 [1]
  • 1944年00月00日 : 四段 [1]
  • 1947年05月10日 : 六段(跳び昇段、順位戦C級〈西組〉昇級)[1]
  • 1948年04月01日 : 七段(順位戦B級1組昇級)[1]
  • 1954年04月01日 : 八段(順位戦A級昇級)[1]
  • 1977年03月11日 : 死去 [2]

主な成績

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...
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脚注

関連項目

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