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林彰洋
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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林 彰洋(はやし あきひろ、1987年5月7日 - )は、秋田県秋田市生まれ[4]、東京都東大和市出身[5][6]のプロサッカー選手。Jリーグ・ベガルタ仙台所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。
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来歴
要約
視点
プロ入り以前
幼少期にサッカーを始め、セレクションを経て柏レイソル青梅ジュニアユースに加入[7]。同クラブでは当初GKとフィールドプレーヤーを兼任していたが、プロ入りを見据えてGKに専念するようになった[7]。
自分の力でチームを全国高校サッカー選手権全国大会に出場させたいと[8]、同大会出場歴の無かった流通経済大学付属柏高等学校へ進学。高校No.1GKとして名を馳せ[8]、2005年にはPK戦の末に県予選を制して[8] 同校初の全国出場を果たしたが、2回戦敗退。
2006年、流通経済大学へ進学。サッカー部での活躍が注目され、2007年には日本代表にも選出された(後述)。
2008年3月にリーグ・アンのFCメスの入団テストを受験するも不合格[9]。また、鹿島アントラーズ[10]、サンフレッチェ広島[9]、京都サンガF.C.の練習に参加し、複数のJリーグクラブが獲得に動いていた[11][9]。
在学中、2007年及び2009年のユニバーシアードに出場し、2009年ベオグラード大会で銅メダル獲得。ベオグラードから帰国せず、ヨーロッパ各国のクラブに練習参加した[9]。
プリマス・シャルルロワ
2009年7月末、リーガ1(ルーマニア1部リーグ)に昇格したFCアストラ・プロイェシュティとの契約が報じられたが[9]、自身のブログによればオファーは受けたが契約は見送った[12]。9月3日、後にFLチャンピオンシップ(イングランド2部)のプリマス・アーガイルFCと契約を結んだ[13]。同クラブでの出場機会には恵まれず、2010年6月にベルギー3部のROCシャルルロワ=マルシェンヌへ移籍[14]。同年9月、第5節ボホルト戦でジョナサン・ボードン (en) との交代で公式戦初出場[15]。しかし、右手首の2度の負傷の影響により[16][17]その後はボードンが正GKを務めた。
清水エスパルス
所属クラブが経営難に陥ったこともあって[17]国内復帰を検討し、2012年1月にヴィッセル神戸の練習に参加[16][17]。翌2月には大学で師事したハーフナー・ディドGKコーチが在籍する清水エスパルスの練習に参加し[18]、同月15日に清水と正式契約を結んだ[19]。加入早々に山本海人からレギュラーを奪い、3月10日のJリーグ開幕戦で先発出場。失点減に貢献した[20]。
2013年は開幕戦から先発出場を続けていたが、第12節FC東京戦の敗戦によって直近4戦で3敗を喫したことを機に[21]櫛引政敏との入れ替わりで控えGKに追いやられた。
サガン鳥栖
2013年8月、GK陣の負傷が相次いでいた[22]サガン鳥栖へ期限付き移籍[23][24]。直前の試合では特別指定選手の藤嶋栄介が出場し控えGKが不在になっていた陣容もあり[25] 加入直後から先発に定着[26]。安定感のあるセービングと的確なコーチングでチームを鼓舞し、同じく新加入の菊地直哉と共にリーグ最多失点を喫していた守備の再建に成功[5]。自身の出場した13試合を11失点に抑え、J2降格の危機を救った[27]。同年末には西川周作の移籍に端を発してJリーグにおけるGKの移籍が活発化し、林の去就も注目されたが[28] 鳥栖残留を選び[27]、2014年から完全移籍へ移行[29][30]。
出場を重ねる中で安定感は高まり、2014年シーズンは通年では自身初のリーグ戦全試合フル出場を果たし、同年末には鳥栖の年間MVPに選ばれた[31]。鹿島や神戸からの打診[32][33] に応じず、海外移籍を断念し[34] 2015年も鳥栖でプレー。2016年は自身2度目のリーグ戦全試合フル出場を果たした。
FC東京
2017年、権田修一と入れ替わるような形で地元クラブのFC東京へ完全移籍[35][6]。加入後は即レギュラーとしてゴールを守ったが、シーズン終盤に大久保択生にポジションを奪われた。翌年の18年は大久保からポジションを奪い返し、開幕からレギュラーとしてゴールを守った。 2019年にはベストイレブンに選出された[36][37]。
2020年シーズンも開幕からゴールを守っていたが、シーズン中盤で若手の波多野豪にポジションを譲り、11月には右膝前十字靱帯損傷の大ケガにより長期離脱となった[38]。
2022年11月4日、2022年を以てFC東京を退団することを発表[39]。
ベガルタ仙台
日本代表
流通経済大在籍中の2006年開催のAFCユース選手権ではU-19日本代表の正GKとしてプレー[41]。2007年には同代表でのプレーぶりが日本代表監督を務めていたイビチャ・オシムの目に留まり[42]、A代表の候補合宿に現役大学生としては17年ぶりに選出された[43]。同年のU-20ワールドカップでは正GKとしてベスト16進出に貢献。
北京オリンピックの代表候補にも入っていたが西川周作、山本海人を上回ることができずバックアップメンバーにとどまる。
清水加入後の2012年4月にはアルベルト・ザッケローニ監督により5年ぶりに日本代表候補に招集された[44][45]。
同年6月14日、若手で経験値のあるGKとして[46]ロンドンオリンピックに臨むU-23日本代表の予備登録メンバーにオーバーエイジ枠で選出された。林自身は意欲を示していたが、清水側が権田修一の控えという位置付けだったことに反発[46]。結局バックアップメンバーという形での選出になり[47]、チームに帯同して渡英し親善試合に出場したものの[48]、本大会直前に帰国した[49]。
鳥栖移籍後の2014年4月には2年ぶりに日本代表選出[50]。同年8月にはハビエル・アギーレ新体制発足後初の日本代表に招集された[51]。FC東京移籍後の2017年3月にはヴァイッド・ハリルホジッチ率いる2018 FIFAワールドカップ・アジア最終予選メンバーにも選出された。
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エピソード
所属クラブ
- 東大和サッカー少年団 (東大和市立第三小学校)[41]
- 2000年 - 2002年 柏レイソル青梅ジュニアユース (東大和市立第三中学校)[41]
- 2003年 - 2005年 流通経済大学付属柏高等学校
- 2006年 - 2009年 流通経済大学サッカー部
- 2009年9月 - 2010年
プリマス・アーガイルFC
- 2010年 - 2012年
ROCシャルルロワ=マルシェンヌ
- 2012年 - 2013年
清水エスパルス
- 2013年8月 - 2014年1月
サガン鳥栖(期限付き移籍)
- 2013年8月 - 2014年1月
- 2014年 - 2016年
サガン鳥栖
- 2017年 - 2022年
FC東京
- 2023年 -
ベガルタ仙台
個人成績
- その他の国際公式戦
- 2020年
- AFCチャンピオンズリーグ2020・プレーオフ 1試合0得点
- 2012年3月10日:Jリーグ初出場 - J1第1節 vs名古屋グランパスエイト (豊田スタジアム)
- 2015年8月16日:Jリーグ100試合出場 - J1・2nd第7節 vsモンテディオ山形 (NDソフトスタジアム山形)
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タイトル
個人
FC東京
- Jリーグベストイレブン:1回(2019年)
- Jリーグ優秀選手賞:1回(2019年)
ベガルタ仙台
- J2リーグ優秀選手賞:1回(2024年)
- J2リーグフェアプレー個人賞:1回(2024年)
- J2リーグ月間ベストセーブ賞:1回(2025年6月)
代表歴
- U-18日本代表
- 2005年 スロバキアカップ[53]、リスボン国際ユーストーナメント[54]、国際ユースサッカーin新潟、SBSカップ、AFCユース選手権2006 (予選)
- U-19日本代表
- 2006年 カタール国際ユーストーナメント、SBSカップ、AFCユース選手権2006
- U-20日本代表
- 2007年 トゥーロン国際大会、FIFA U-20ワールドカップ
- U-22日本代表
- 2007年 カタール国際ユーストーナメント、2008年北京オリンピックのサッカー競技・アジア予選
- U-23日本代表
- 2008年 トゥーロン国際大会、北京オリンピック バックアップメンバー
- 2012年 ロンドンオリンピック バックアップメンバー[47] (オーバーエイジ)
- ユニバーシアードサッカー日本代表
- 日本代表
- 2007年 候補合宿[43][57]
- 2014年 キリンチャレンジカップ
- 2015年 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
- 2016年 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
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脚注
関連項目
外部リンク
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