トップQs
タイムライン
チャット
視点

林田彪

ウィキペディアから

林田彪
Remove ads

林田 彪(はやしだ たけし、1944年4月4日 - )は、日本政治家自由民主党所属の元衆議院議員(5期)。

概要 生年月日, 出生地 ...

経歴

熊本県玉名郡長洲町生まれ。長洲町立長洲中学校熊本県立玉名高等学校を経て、東京農工大学農学部林学科卒業。1967年建設省入省。1995年10月16日建設大学校副校長を最後に依願退官[要出典]

1996年第41回衆議院議員総選挙熊本2区から立候補したが、新進党の現職野田毅に敗北し落選。1999年6月、東家嘉幸が体調不良が原因で任期途中で辞職し、本来の比例九州ブロック次点であった渡瀬憲明が1998年に死去しており、次々点の宮島大典は1998年の長崎4区補欠選挙で当選していたため、次順位の林田が同年7月6日付で繰上当選となった[1]

2000年第42回衆議院議員総選挙では、小沢自由党を経て与党保守党)入りした野田と選挙協力し、比例単独で立候補し当選(第42回以降野田と林田はコスタリカ方式で立候補するようになる[要出典])。2001年第1次小泉内閣財務大臣政務官

2003年第42回衆議院議員総選挙で熊本2区に立候補し、小選挙区初当選。2004年第2次小泉改造内閣内閣府副大臣行政改革構造改革特区地域再生、産業再生機構規制改革男女共同参画少子化対策栄典及び国際平和協力業務等担当)。2004年政治家の年金未納問題が問題となった際に8か月分の未納が判明した[2]

2005年9月、第44回衆議院議員総選挙で比例九州ブロック当選、第3次小泉内閣で内閣府副大臣に再任。同年11月、自由民主党副幹事長。2008年9月24日衆議院災害対策特別委員長[要出典]

2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙では熊本2区に自由民主党から立候補。公明党の推薦も受けた[3]民主党新人の福嶋健一郎に敗れ、落選(重複立候補をしていなかったため、比例復活はできなかった[4]。)。

2012年12月16日第46回衆議院議員総選挙では、比例九州ブロック単独で立候補し、選挙区との重複候補だった33名、および西川京子厚生労働副大臣に次ぐ名簿順位35位に列せられたが、選挙区立候補者33名中31名が当選したため当選、国政に復帰した。2014年12月14日第47回衆議院議員総選挙では、比例九州ブロックに名簿順位33位で立候補したが、落選。

Remove ads

政策

不祥事

所属団体・議員連盟

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads