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梶一郎

日本の将棋棋士 ウィキペディアから

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梶 一郎(かじ いちろう、1912年6月6日 - 1978年1月20日)は、将棋棋士、九段。土居市太郎名誉名人門下。棋士番号は12。東京府東京市(現:東京都台東区[注 1])の生まれ。

概要 梶一郎 九段, 名前 ...

経歴

元号が明治から大正に変わる前月の明治45年(1912年)6月の生まれである。

1928年、土居市太郎に入門。同年9月に関東の奨励会が創設されている。

プロ入り(四段昇段)は1934年。以降昇段を重ね、戦時中の1943年に八段まで上り詰める。

戦後に始まった第1期順位戦(1946年度)では、A級(八段リーグ)からスタート。4勝9敗の成績で陥落枠7名の中に入り、第2期はB級で指す。

第11期(1956年度)B級2組順位戦で2位(9勝4敗)の成績を収め、B級1組に復帰。

第2回(1957年度)東京新聞社杯戦で高松宮賞を獲得。

第13期(1958年度)B級2組順位戦で、0勝3敗の後の7局を不戦敗とし、1959年、現役を引退。まだ46歳であった。

1978年1月20日肺炎[1]死去。享年65。同日付で九段を追贈される。

人物

  • 師匠の土居市太郎の次女と結婚している。
  • 梶にはプロ棋士になった弟子はいないが、後に観戦記者となった東公平は、梶門下で奨励会で指し、初段で退会している。
  • 第12期順位戦(1957年度)B級1組では12戦中1勝11敗の成績とし、全12局制の順位戦において「この十一敗は新記録?」と自身のコラム(ベテラン閑談「近代将棋」1958年7月号)の中で取り上げている[2]。同コラム内では、梶が「五百何手の最長手数の愚戦[注 2]を演じたり、三十三手の最短手数で負けたり」したことにも触れ、梶自身が「レコードメーカー」と揶揄されたとも記している[2]

棋風

居飛車党で、相掛かりや変則的な矢倉の形の将棋が多い。横歩取り3三角戦法を内藤國雄以前に指している。時折振り飛車も指し、升田幸三を相手に中飛車で戦って勝った一局もある。

昇段履歴

  • 1928年00月00日: 入門
  • 1934年00月00日: 四段 = プロ入り
  • 1936年00月00日: 五段
  • 1938年00月00日: 六段
  • 1940年00月00日: 七段
  • 1943年00月00日: 八段
  • 1959年00月00日: 引退
  • 1978年1月20日: 死去。同日付で九段を追贈される。

主な成績

表彰

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...

年度別成績

さらに見る 年度, 対局数 ...
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脚注

関連項目

外部リンク

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