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水野忠春
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水野 忠春(みずの ただはる)は、江戸時代前期の大名。三河岡崎藩の第2代藩主。忠元系水野家3代。水野忠善の長男。
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生涯
慶安4年(1651年)、将軍・徳川家綱に御目見し、承応3年(1654年)に任官する。延宝4年(1676年)、父・忠善の死により家督を相続する。天和元年(1681年)、奏者番兼寺社奉行に任じられ、貞享2年(1685年)まで勤めた(途中、貞享元年(1684年)には大坂城代も兼任)。元禄5年(1692年)、江戸において死去した。長男の忠直が早世していたため、跡は次男の忠盈が継いだ。
墓所は茨城県結城市大字山川新宿の山川水野家墓所(菩提寺の旧万松寺内にあった墓所で初代忠元から11代忠邦までの11基の墓のみが残る)[1]。
系譜
父母
正室
- 梅子、清光院 ー 前田利次の娘
子女
脚注
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