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江戸名所図会

江戸時代に刊行された絵入り地誌 ウィキペディアから

江戸名所図会
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『江戸名所図会』(えどめいしょずえ)は、江戸時代後期の1834年1836年天保5年と7年)に刊行された江戸地誌、絵入りの名所案内。斎藤月岑が7巻20冊で刊行した。鳥瞰図を用いた長谷川雪旦の挿図も有名。

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御茶ノ水水道橋 神田上水懸樋(『江戸名所図会』)
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不動の滝 泉流滝とも(『江戸名所図会』)。(現存せず。現在の北区滝野川2-49-5に不動の滝跡は残る[1]
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妙薬「錦袋円」を売る勧学屋(『江戸名所図会』)
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鶴見橋(現・鶴見川橋)。(『江戸名所図会』)

概要

神田町名主であった斎藤長秋(幸雄)・莞斎(幸孝)・月岑(幸成)の3代にわたって書き継がれた[2]。長秋は京都名所図会(『都名所図会』)に刺激を受け、寛政期に編纂を開始した。当初は『東都名所図会』という題だったとも言われるが、脱稿時点で『江戸名所図会』に決まっていた[2]

当初は8冊本として刊行予定であり[2]、1798年(寛政10年)5月に出版許可も得ていたものの[2]1799年(寛政11年)長秋が63歳で病死した。後を継いだ婿養子の莞斎は郊外分などの追補に努め、長谷川雪旦に画を依頼した。1818年(文化15年)に莞斎が死去し、その刊行は月岑に託された。結局、前半1–3巻(10冊)は1834年(天保5年)、後半4–7巻(10冊)は1836年(天保7年)に刊行された[2]。拾遺編を刊行する意志もあったようだが、刊行には至らなかった[2]

武蔵、江戸の由来、日本橋から、各所の寺社、旧跡、橋、坂などの名所について記しており、近郊の武蔵野川崎大宮船橋などにも筆が及んでいる。考証の確かさ[3]と、当時の景観や風俗を伝える雪旦の挿図が高く評価[4]されており、江戸の町についての一級資料になっている。

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内容

当時の図会は方角順に記述するものと郡別に記述するものがあり、『江戸名所図会』は方角順に記述している[2]。天枢、天璇…は北斗七星の中国名。

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刊行物

要約
視点

原本

有朋堂文庫版

新訂版

  • 『新訂 江戸名所図会』(市古夏生鈴木健一 校訂)筑摩書房ちくま学芸文庫〉全6巻、1996 - 97 エラー: 日付が正しく記入されていません。
  • 『別巻1 新訂 江戸切絵図集』(市古夏生・鈴木健一校訂)ちくま学芸文庫、1997年
  • 『別巻2 新訂 江戸名所図会事典』(市古夏生・鈴木健一編)ちくま学芸文庫、1997年 - 各・2009年(復刊)
  • 『新訂 江戸名所花暦』(市古夏生・鈴木健一校訂)ちくま学芸文庫、2001年

角川文庫版

『江戸名所図会』(鈴木棠三朝倉治彦校注)角川文庫、全6巻、1966-68年、新装復刊1989年

単行版

鈴木棠三・朝倉治彦校註『新版 江戸名所図会』(単行判 全3巻)角川書店、1975年

デジタル版

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脚注

外部リンク

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