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池元友樹
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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池元 友樹(いけもと ともき、1985年3月27日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。
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プロフィール
要約
視点
東福岡高校時代は2年時から全国高等学校サッカー選手権大会で活躍。高校卒業後はアルゼンチンのCAリーベル・プレートに入団し、当地で4軍(アマチュア)まで昇格し、U-19日本代表にも選ばれた。U-19代表に選ばれてから日本に帰国し、福岡、大分、東京V、清水の練習に参加したが、プロ契約に至らず、当時九州サッカーリーグ所属のニューウェーブ北九州に入団し、2年間で26試合27得点と高い得点力でチームを牽引した。なお北九州加入1年目はアマチュア選手で、朝から時給約800円でマンションの工事現場で資材を運び、夜に練習する毎日を送っていたため「あの生活は、もう一生したくない」と語る[1]。
2006年シーズン、北九州が九州リーグで3位に終わり、第42回全国社会人サッカー選手権大会でも上位進出を達成出来ず、第30回全国地域リーグ決勝大会への進出を逃したため、同大会に出場するFC岐阜に期限付き移籍し、同大会6試合出場でハットトリック1回を含む7得点を挙げ岐阜の準優勝に貢献、さらにホンダロックSCとの入替戦2試合にも出場、岐阜の日本フットボールリーグ昇格に貢献した。
2008年シーズンは横浜FCへ期限付き移籍し、積極的に仕掛けるドリブルを武器に相手DFを切り崩し、32試合に出場し7得点と活躍。
2010年にギラヴァンツ北九州へ期限付き移籍。約3シーズンぶりの復帰となった。2012年、北九州に完全移籍。
地元出身ということもあり、北九州ではエースとして存在感を高め[2]、2014年にはキャリアハイの15得点を挙げてJ2得点王ランキング6位となった。
2015年、新たにJ1に昇格した松本山雅FCに完全移籍[3]。3月7日のJ1リーグ開幕戦、豊田スタジアムでの対名古屋戦で、一旦は勝ち越しゴールとなるチーム2点目のゴールを決め、これがプロ13年目にして自身のJ1初ゴールとなった[4]。しかしリーグ戦8試合の出場にとどまったこともあり、翌2016年シーズンは北九州へ復帰した[5][6] ものの、チームはJ2最下位となりJ3降格となる。
2017年はチームキャプテンを務めた。7月22日、アウェイ・FC東京U-23戦で試合終盤に挙げたゴールがJ3リーグ発足から通算2,000ゴール目となった。同年はJ3ながらキャリアハイの16ゴールを挙げたものの、チームは9位に終わり、翌2018年は2年連続のチーム得点王とはなったものの僅か5ゴール、出場も20試合にとどまった。2019年は2年ぶり、かつチーム唯一の全試合出場を果たし、キャプテン内藤洋平が怪我の影響で出場機会が限られる中、副キャプテンとして多くの試合でゲームキャプテンを務めつつ、チーム2位タイの7ゴールを挙げ、チームのJ3初優勝に貢献した。
2020年、自身、クラブ共に4シーズンぶりのJ2となり、開幕から9戦連続で出場、第11節ツエーゲン金沢戦でシーズン初得点を挙げるも、続く第12節以降7戦連続でベンチ外となり、第22節から3試合連続、第29、30節と2試合連続で出場した後、第31節で控えに入ったのを最後にベンチ外となっていた。第40節翌日の12月14日、同シーズン一杯で現役を引退することが発表された[7]。第41節、ホーム最終戦対モンテディオ山形戦に87分から交替出場、試合後に行われたセレモニーでは、東福岡高校時代の恩師、志波芳則総監督や家族から花束が贈られた[8]。
引退後、北九州のクラブコーディネーターに就任[9]。
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所属クラブ
- 1997年 - 1999年
北九州市立思永中学校
- 2000年 - 2002年
東福岡高等学校
- 2003年 - 2004年
CAリーベル・プレート
- 2005年 - 2006年
ニューウェーブ北九州
- 2007年 - 2011年
柏レイソル
- 2012年 - 2014年
ギラヴァンツ北九州
- 2015年
松本山雅FC
- 2016年 - 2020年
ギラヴァンツ北九州
個人成績
代表歴
戦歴
アマチュア
出典
関連項目
外部リンク
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