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河原和寿
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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河原 和寿(かわはら かずひさ、1987年1月29日 - )は、埼玉県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW・攻撃的MF。
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来歴
大宮東高校時代からU-16、U-17、U-18、U-19の各世代で日本代表に選出された実績を持ち、ユース年代から将来を嘱望されていた。
高校卒業後、J1・アルビレックス新潟に入団。2006年のJ1リーグ戦第7節ヴァンフォーレ甲府戦でリーグ戦初出場及び初ゴールを記録した。2007年、FIFA U-20ワールドカップに選出され、レギュラーとして活躍。得点は挙げられなかったものの、日本代表のベスト16進出に貢献した。
2009年、新潟からJ2に新規参入したばかりの栃木SCに期限付き移籍。戦力的に厳しいチームの中でエースとして孤軍奮闘し、13得点を記録する活躍を見せ、2010年に新潟に復帰。しかし、2010シーズン開幕戦先発メンバー入りを果たしたものの、その後は出場機会を得られず、同年8月よりJ2・大分トリニータへ期限付き移籍。大分ではシーズン途中の加入ながらレギュラーの座を掴み、リーグ戦17試合に出場し2得点を記録した。
2011年、新潟から栃木SCへ期限付き移籍。2009年在籍時の活躍から、背番号を大分時代を除いて今まで付けていた20番から11番に変更した。2012年からは栃木へ完全移籍。開幕から4試合連続先発出場したが、その後怪我により欠場し、復帰後もなかなか出番がもらえず、無得点でシーズンを終了。2012年いっぱいで契約満了となった。同年には元グラビアアイドルの山本早織と結婚(その後離婚している[1])、2013年、愛媛FCに完全移籍。
2018年5月6日、第13節の栃木SC戦で、史上36人目となるJ2通算300試合出場を達成する[2]。
2020年1月、現役引退と愛媛FCアカデミーコーチ就任が発表された[3]。
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人物
この節には複数の問題があります。 |
- 特徴的な坊主頭と顔立ちが俳優のえなりかずきを思わせるため、一部のサポーターから「えなり」という愛称で呼ばれているが、本人は「その愛称は嫌い。自分は自分。」とあまり気に入っていない。[要出典]
- 尊敬している選手は、元同僚の岡山哲也。そのため2007年の背番号を決めるときに、自らすすんでそれまで岡山が使用していた『20』番を希望した。[要出典]
- ヴァンフォーレ甲府とはJ初得点の相手だったのをはじめ、栃木に移籍した2009年も3戦全てで得点を挙げるなど、非常に相性がよい「甲府キラー」である。2009年のJ2第10節で右45度からのミドルシュートを決めたとき、当時の甲府の監督だった安間貴義が「なぜそれが入るのか」と驚いていた。[要出典]
所属クラブ
- ユース経歴
- 1999年 - 2001年 行田市立西中学校
- 2002年 - 2004年 埼玉県立大宮東高校
- プロ経歴
個人成績
その他の公式戦
- 2015年
- J1昇格プレーオフ 1試合0得点
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代表歴
- U-16、U-17日本代表 (2003、2004)
- U-18, U-19, U-20日本代表 (2005, 2006, 2007)
- AFCユース選手権2006 (出場5試合・2得点)
- 2007 FIFA U-20ワールドカップ (出場3試合・0得点)
指導歴
- 2020年 - 愛媛FC
- 2020年 - 2022年 U-15 コーチ
- 2023年 - 2024年 トップチーム コーチ
脚注
関連項目
外部リンク
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