トップQs
タイムライン
チャット
視点
鶴岡雅義と東京ロマンチカ
日本のコーラス・グループ (1965-) ウィキペディアから
Remove ads
鶴岡雅義と東京ロマンチカ(つるおかまさよしととうきょうロマンチカ)は、日本の男性コーラス・グループ。ムード歌謡を代表するグループのひとつである。現在、オフィス・ダァグに所属。リーダーの鶴岡雅義が弾くレキントギターと三條正人や浜名ヒロシの甘いボーカルが人気を得た。
メンバー
元メンバー
- 浜博也(はま ひろや、1962年1月8日 - )在籍中は「縣浩也」「高木浩也」名義、1994年以降はソロ歌手として活動している[6]。2009年には覆面歌手「ザ・マイクハナサンズ」名義で昭和時代にヒットした歌謡曲のメドレー「今夜の主役は私です!」を発売し、有線放送のリクエストチャートで1位を獲得するなど話題になった[7]。
- 北村敏郎(きたむら としろう、1952年11月9日 - )本名:上原敏郎。北村英治のもとで、ジャズシンガーとして活動の後加入、サイドボーカルの他、曲によってはリードボーカルを担当した。ソロ転向後は「たきまさと」と改名して、シングル『燃えよ夕陽』(『大江戸捜査網』エンディングテーマ)などを発表[8]。
- 岡たつや(おか たつや、1950年1月2日 - 2020年5月17日)本名:岡本正二 原トシハルとR&Bのメンバーを経て岡本しょうじとハーモニー(バンドリーダー)。1986年ロマンチカにボーカルとして加入。1989年独立し『よわむし』でソロデビュー。『仁川愛のエアポート』『夢思い』『カモメ』『昭和ストーリー』などを発表。日米親善、日中友好公演等海外公演に参加。作曲家としても活躍した。
- 南屋栄(みなみや さかえ、1950年9月10日-2023年9月7日) 2016年9月に放映された番組「今甦る魅惑のムード歌謡スペシャルPart2」からコーラスとして加入した。
このほか多数のメンバーが在籍していた。
1968年から1974年までの7人編成時代は鶴岡、三條、浜名、奥山、山崎雅義、有沢幸男、松田直也(1972年のLP「鶴岡雅義と東京ロマンチカのすべて」ライナーより)
Remove ads
来歴
- 1965年:作曲家の鶴岡雅義が中心となり結成。当初はボーカル不在のため、ゲストボーカルを迎えての活動となる。
- 1967年:『小樽のひとよ』の大ヒットによりメインボーカルとして三條正人(後に女優香山美子と1973年に結婚)が正式に加入。
- 1968年:奥山が加入。第19回『NHK紅白歌合戦』に初出場(以後6年連続)、『君は心の妻だから』で第2回『日本有線大賞』スター賞を受賞。同年11月よりフジテレビ系の歌謡番組『夜のヒットスタジオ』放送開始と同時にレギュラー出演(1974年10月まで)、番組内での歌謡ドラマのコーナーに毎回出演し鶴岡雅義を初めメンバーらがコント演技等も披露した。
- 1969年:浜名が加入。
- 1974年:三條がソロ歌手へ転向し、浜名がメインボーカルとなる。
- 1978年:三條がグループに復帰。
- 1982年:三條が再びソロ歌手へ転向。
- 1983年:浜が加入。
- 1986年:浜が一時脱退。岡が加入
- 1989年:岡がソロ歌手へ転向。
- 1994年:浜がソロ歌手へ転向。
- 2003年:三條が再びグループに復帰。
- 2009年:浜名が死去。
- 2012年:宮内が加入。
- 2014年:鶴岡が第56回日本レコード大賞・功労賞を受賞。
- 2015年:奥山が死去。
- 2017年:三條が死去。
- 2018年:リードボーカルとなった宮内ひろしが中心となり、佐藤省吾をセカンドボーカルとして迎え、貴倉竜也・南屋栄をコーラスに、新たに5人で編成[9]。
NHK紅白歌合戦出場歴
- 注意点
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
- 対戦相手の歌手名のカッコ内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にあるカッコはトリ等を務めた回数を表す。
ディスコグラフィ
要約
視点
シングル
アルバム
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads