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浦河駅

かつて北海道浦河郡浦河町にあった北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから

浦河駅
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浦河駅(うらかわえき)は、北海道日高振興局浦河郡浦河町昌平町駅通(しょうへいちょうえきどおり)にあった、北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線である。電報略号ウカ事務管理コードは▲132223[2][3]日高振興局の所在地である浦河町の代表駅だった。

概要 浦河駅, 所在地 ...

1986年(昭和61年)10月まで運行されていた急行えりも」の停車駅であった。

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歴史

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1978年の浦河駅と周囲約500m範囲。右下が様似方面。下端中央に古くから漁港として有名な浦河港が見える。単式と島式の複合ホーム2面3線、駅舎横の様似側に切り欠き状の貨物ホームと引込み線、駅裏に貨物積み卸し線1本とそこから様似側の石炭荷卸し場へ引込み線、苫小牧側にも引込み線を有している。ホーム間には跨線橋も設置されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

駅名の由来

当駅の所在する地名(町名)より。

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駅構造

単式ホーム1面1線を有した地上駅。ホームは線路の北西側(様似方面に向かって左手側)に存在した[5]。そのほか本線の苫小牧方から分岐し構内外側への行き止りの側線(旧3番線の一部)を1線、及びその側線から分岐し苫小牧方に戻る形で車庫を有す行き止りの側線を1線有していた[5]。道内初の鉄筋コンクリート製のホームであった[6]。かつては単式ホーム島式ホーム複合型2面3線を有する列車交換可能な交換駅であった[7]。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム中央部分を結んだ跨線橋で連絡していた[7]。1983年(昭和58年)時点では、駅舎側(西側)が下りの1番線、島式ホーム駅舎側が上りの2番線、外側が側線扱いの副本線である3番線となっていた[7]。3番線の外側に側線を1線、そこから分岐した行き止りの側線を1線有し、そのほか1番線の様似方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[7]。交換設備運用廃止後は2、3番線をはじめ一部の側線を除き1993年(平成5年)3月までには撤去されたが、様似方のホーム先の線路は転轍機の名残で湾曲していた[5]

静内駅が管理していた社員配置駅となっていた。駅舎は構内の北西側に位置しホーム中央部分に接していた[7]。開業当初からの建物である[6]が、国鉄最後のダイヤ改正で縮小された。駅舎は当時最先端だった大阪近郊の駅をモデルにした[6]みどりの窓口を設置していたが、窓口営業時間は12時00分から16時20分まで、水・土曜と第2・4月曜のみの営業となっていた。自動券売機は設置されていなかったため、近距離きっぷもみどりの窓口での購入となっていた。

「サラブレッド観光と乗馬の街」と記載された「わたしの旅スタンプ」が設置されていた[8]。また以前の文面は「サラブレッドの馬像がある街」であった[5][7]。かつては「DISCOVER JAPANスタンプ」が設置されていた[9]

開業当時からの跨線橋も設置されていた。元々上りホームへの渡るものであったが、交換設備廃止後の1988年に浦河町に無償譲渡の上改造され、駅の反対側の国道への自由通路となっていた[10]

2021年(令和3年)4月1日の駅廃止後も、駅舎内では同年4月4日まで浦河町立郷土博物館主催の写真展が開催される予定[11]

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利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去の各調査日における平均である。当駅についてはバス代行期間が存在するため、一部でバスと列車が別集計となっているほか、各年で集計期間が異なる。備考も参照。

さらに見る 年度, 乗車人員 ...

駅周辺

駅の海側は埋立地で、山側が旧国道(通称シベリア街道)。現国道との間に、防波堤が20mほど残っている。

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
日高本線
絵笛駅 - 浦河駅 - 東町駅

脚注

関連項目

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