トップQs
タイムライン
チャット
視点
渡前村
日本の山形県東田川郡にあった村 ウィキペディアから
Remove ads
渡前村(わたまえむら)は山形県東田川郡にあった村。現在の鶴岡市北東部、藤島川左岸、羽越本線藤島駅の南方一帯にあたる。
地理
- 河川:藤島川
隣接していた自治体
歴史
村名の由来
『藤島町史 上巻』154頁では、郡府へ渡る川の前の村であったことから名前が付いたと推測している。
昭和の大合併
昭和の大合併では、主に北部では藤島町への合併を、南部では鶴岡市への合併を望んでいた[1]。1954年(昭和29年)8月に実施された世論調査では、鶴岡市への合併希望が56.3 %、藤島町への合併希望が39.7 %、「わからない」・白紙が4.0 %となった[2]。1954年12月1日、当村を除いた藤島町・東栄村・長沼村・八栄島村が合併し、結論を先延ばしにすることは混乱の原因になることから、将来的に藤島町から鶴岡市へ分町することを検討した上で、1955年(昭和30年)1月10日に藤島町へ編入した[3]。なお、藤島町に編入後、鶴岡市への分町は行われないまま、議論は1957年(昭和32年)12月に終了した[4]。(藤島町編入後の詳細は藤島町#昭和の大合併を参照のこと。)
年表
- 1876年(明治9年)12月11日 - 東渡前村と西渡前村が合併して渡前村が発足[5]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、柳久瀬村、荒俣村、箕升新田村、渡前村、平形村、新屋敷村、上藤島村、和名川村、砂塚村、幕野内村、大半田村の区域をもって、改めて渡前村が発足(ただし大半田村の一部は横山村の一部となる)[6]。
- 1916年(大正5年)6月21日 - 横山村との境界変更[7]。
- 1918年(大正7年)5月5日 - 広瀬村との境界変更[8]。
- 1919年(大正8年)8月23日 - 横山村、藤島村との境界変更[9]。
- 1928年(昭和3年)8月20日 - 大字上藤島と藤島町大字藤島との境界を変更[10]。
- 1955年(昭和30年)1月10日 - 藤島町に編入、同日渡前村廃止[3]。渡前村役場は藤島町役場第三支所となる[11]。
Remove ads
地名
小字の出典は『山形県地名録』247-248頁による。
- 大字渡前
- 小字:渡前(わたまえ)・太田・大坪・上沖・下沖・上伝田・上谷地・下谷地・東谷地・北谷地・新山越・砂畑・仙北田・
泥障沼 () - 大字荒俣
- 小字:荒俣・上荒俣・中荒俣・下荒俣・沖田・粕巻・鴨田・西鴨田・
小糠田 ()・鷺沼・仲川原・下川原・弥陀前・道地・村東・谷地田 - 大字新屋敷
- 江戸時代末期までは「跨り新田村」があったが、新屋敷村に吸収された[12]。
- 小字:新屋敷・沖・越前・高田・前田元・水尻・芳ノ浦・跨リ
- 大字上藤島
- 小字:沖通・街道西・三文字・女郎分・備中下・村東・村西・鎧田畑・六所畑
- 大字砂塚
- 小字:砂塚・砂塚谷地・
河戸向 ()・桃谷地 - 大字大半田
- 地名の由来は、「大般若」が訛ったものと言われている[13]。
- 小字:大半田・
尿田 ()・獺野・上川原・北田・大北田・丁野田(ていのだ)・土済・宮田 - 大字平形
- 小字:平形・元平形・下平形・入三瀬・大新田・小新田・国分・小割・桜屋敷・田屋敷・西谷地・広表・前荒田・町田・小町田・耳取・柳田
- 大字幕野内
- 地名の由来は、戦のあとに武将が幕を張り巡らせていた説や、巻くように流れている川の内側にあったから「巻の内」と呼ばれていた説がある[14]。
- 小字:幕野内・泉田・大橋本・大東・笹久根・仲田・歩谷地・道下・
谷畔 () - 大字箕升新田
- 1661年(寛文元年)に加賀国の渡部氏によって開村された[15]。
- 小字:箕升新田・大谷地・五右衛門作・中道・西新田・東新田・山道場
- 大字柳久瀬
- 小字:柳久瀬・缺ノ上・
狐河戸 ()・九日田・ソブ田・外屋敷 ()・止場 ()・古川・武良免 - 大字和名川
- 地名の由来には、2つの説がある[16]。
- 魚を捕まえる「梁」が転じて和名になった説。
- 輪のように湾曲した川に沿って村が作られ輪内川となり、転じて和名川になった説。
- 小字:和名川・街道下・北野・杉谷地・中谷地・野田・古田・南田
行政
村長
水道事業
医療
渡前村を含む藤島町外六ヶ村伝染病院組合による病院を、藤島町大字古郡に設置していた[20]。
Remove ads
人口
産業
主な産業は農業であった。農業戸数は1953年時点で484戸、うち専業農家は293戸であった[22]。米の年間収穫高は1939年で999,750円であった[23]。
教育
小学校
各分校・冬季分校は、校名と同名の大字に設置されていた。
- 渡前村立渡前小学校 - 大字渡前に設置。学級数13組、児童数525人(1953年時点・分校含む)。
- 大半田分校
- 平形分校
- 荒俣冬季分校
- 柳久瀬冬季分校
中学校
図書館
- 渡前村立図書館[26]
交通
鉄道路線
出身著名人
参考文献
脚注
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads