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渡辺泰邦

日本の政治家、ジャーナリスト ウィキペディアから

渡辺泰邦
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渡辺 泰邦(渡邊 泰邦、わたなべ やすくに、1891年明治24年)8月1日[1] - 1949年昭和24年)10月5日[2])は、日本の政治家ジャーナリスト衆議院議員。旧名・長一郎[3]

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渡辺泰邦

経歴

北海道函館区船見町(現函館市)で渡辺長蔵の長男として生まれる[1][3]早稲田実業学校を経て[1]早稲田大学政治経済科専門部で学んだ[2]

その後、函館新聞記者となる[2]1914年家督を相続し「泰邦」と改名[3]。函館区会議員、函館市会議員を務める[1][2]。政治家としての見識を広げるため、1923年から1928年まで、中国蒙古インドを経てヨーロッパアメリカ合衆国を視察した[1]

1930年、函館市で興民会を組織し、機関誌『興民』を発刊した[1]。同年2月、第17回衆議院議員総選挙で北海道第三区から出馬して当選し、立憲民政党に所属[2]中野正剛に私淑した[4]1932年12月、安達謙蔵国民同盟を結成すると渡辺も参加し常任幹事を務めた[1]1934年、函館市民同盟を組織して盟主に就任[1]1936年2月、第19回総選挙で再選された[2]。その後、中野正剛の結成した東方会に参加[4]。以後、第20回第21回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算四期務め、大政翼賛会中央協力会議員となった[2]

戦後日本社会党に入党するも[5]公職追放となり[6]第22回総選挙は不出馬。追放中の1949年死去。

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脚注

参考文献

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