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溝淵春次

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溝淵 春次(みぞぶち はるじ、1903年明治36年)6月16日[1] - 1978年昭和53年)11月7日[2])は、大正末から昭和期の弁護士政治家参議院議員(1期)。

経歴

香川県[1][2][注釈 1]で溝淵岩吉の五男として生まれる[1]。1919年(大正8年)立命館大学法科を卒業した[1][2][3][注釈 2]。その後、日本大学研究室で研究した[1]

1924年(大正13年)高等試験司法科試験に合格し弁護士を開業した[1][2][3]。1930年(昭和5年)大阪府会議員に選出され[2][3]立憲政友会大阪支部幹事長を務めた[4]。その他、日本アンチモニイ鉱業社長も務めた[1]

戦後、日本自由党大阪府連幹事長、同選挙対策委員長などを務めた[2][3]。1951年(昭和26年)5月の第1回参議院議員通常選挙大阪府地方区補欠選挙に日本自由党公認で出馬して当選し[5]、参議院議員に1期在任した[2]。この間、参議院電気通信委員長などを務めた[2]。その後、第3回通常選挙第27回衆議院議員総選挙大阪府第2区)、第4回通常選挙第5回通常選挙全国区)に立候補したがいずれも落選した[6]

1978年(昭和53年)11月7日死去、75歳。死没日をもって勲四等旭日小綬章追贈、従五位に叙される[7]

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脚注

参考文献

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