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烏森町
名古屋市中村区・中川区の地名 ウィキペディアから
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烏森町(かすもりちょう)は、愛知県名古屋市中村区と中川区の町名。現行町名としては、中村区に烏森町1丁目から烏森町8丁目がある。中村区及び中川区には丁番をもたない烏森町も存在し、8つの小字が設置されている。いずれも住居表示未実施地区[6][7]。
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地理
中村区南部、中川区北部に位置する。
名古屋市の行政地名としては烏森駅の西一帯を指すが、駅周辺の高須賀町や松葉町の一部、愛知県道190号名古屋一宮線、名古屋高速5号万場線の烏森出入口周辺を含む場合もある。町の中心を縦断する佐屋街道沿いに古い街並みが続き、中川区側には東海旅客鉄道(JR東海)の関連施設が集中している。佐屋街道と交差するように惣兵衛川(中井筋)が流れていたが、現在は暗梁化され中村区側は中井筋緑道として整備されている。
佐屋街道の経由地で、柳街道が当地から北へ分岐し、禰宜町(名駅南一丁目)へ向かう。
字一覧
烏森町とその前身である烏森村の小字は以下の通り[8]。以下の表において、
- 消滅した字については背景色 で示す。
- 現存する字のうち中川区に所在するものには■を、中村区に所在するものには★を付した。
- 括弧内には読みを示す。
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歴史
当地周辺には古代遺跡が散在し、烏森C遺跡(烏森町6丁目)では古墳時代から平安時代の須恵器が出土している。烏森天神社は、式内社「針名神社」の論社となっている。
天正年間には小川善六という人物の知行地となっていた。後に杉原家次の子である杉原長房の居城として烏森城が築城され、副田吉成は出家した後に当地所在の禅養寺に隠棲している。
町名の由来
江戸期の愛知郡烏森村を前身とする。城跡に森があり、多くの烏が棲んでいたため「烏(からす)の森」と呼ばれ、略して「烏森(かすもり)」となったと言われている[9][10]。
地名は戦国期から見え、『信雄分限帳』に「かすもり たかすか両郷 小川善六」とある。
行政区画の変遷
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行・合併に伴い、愛知郡柳森村大字烏森となる[1]。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 合併に伴い、常磐村大字烏森となる[1]。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市中区へ編入し、同区烏森町となる[1]。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 行政区再編に伴い、中川区所属となる[1]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 一部が中村区に編入され、中村区烏森町が成立[1][11]。
- 1959年(昭和34年)5月1日 - 中村区高須賀町の一部を中村区烏森町へ編入[11]。一部を豊国通・畑江通へ編入[12][13]。
- 1961年(昭和36年)10月20日 - 中村区高須賀町の一部を中村区烏森町へ編入[11]。
- 1966年(昭和41年)1月26日 - 中村区烏森町の一部が同区沖田町・鈍池町となる[11][12]。
- 1974年(昭和49年)8月11日 - 中村区烏森町の一部が同区並木一~二丁目となる[11]。
- 1977年(昭和50年)5月15日 - 中村区八田町の一部を中村区烏森町へ編入[11]。
- 1980年(昭和55年)
- 1982年(昭和57年)8月29日 - 中川区烏森町の一部が同区小本一丁目となる[1]。
- 1991年(平成3年)11月3日 - 中村区烏森町字才ノ神・四反畑・蓮池・社宮神・村内・十一面の各一部が烏森町8丁目となる[14]。
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世帯数と人口
2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[15]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[16]。
主な施設
教育
- 愛知県立松蔭高等学校
- 名古屋市立柳小学校
- 名古屋市烏森保育園
寺院・神社
- 禅養寺
- 願成寺
- 妙通寺
- 願隆寺
- 相応寺
- 烏森天神社
その他
交通
長らく町の東西を横断するJR関西本線、近鉄名古屋線によって町が分断され、朝夕のラッシュ時は踏切による慢性的な渋滞が問題化していたが、2002年にJR線の、2005年には近鉄線の高架化が完了し解消された[17]。高架化が完成する以前は1時間当たりの遮断時間が47分を数える踏切も存在した[18]。
鉄道・バス
道路
その他
日本郵便
- 集配担当する郵便局は以下の通りである[19]。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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