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玄海桃太郎

福岡市出身の元大相撲力士 ウィキペディアから

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玄海 桃太郎(げんかい ももたろう、1968年12月13日 - )は、福岡市西区出身で朝日山部屋に所属した元大相撲力士。本名は田中 研二(たなか けんじ)。身長180cm、体重186kg、得意技は突き、押し。血液型はO型。趣味は釣り。最高位は東十両12枚目(1994年3月場所)。

来歴

中学時代はバレーボール部に所属していたため相撲の経験は無かった。中卒前より元小結若二瀬の朝日山部屋の関係者から再三の勧誘があり、特に地元の福岡市内で開催される九州場所の期間中は毎日のように声を掛けられたため自身の名が角界内部に知れるようになり、これが決め手となって入門を決意した。1984年3月場所で初土俵を踏み、体力を生かした正統派の突き押し相撲で番付を上げていき幕下に定着していった。1992年5月場所に十両に昇進。しかし、5勝10敗と負け越して1場所で幕下に陥落した。以降2回十両に復帰したが立合いが遅く叩かれて落ちる相撲が多かったため十両に定着することは出来なかった。1994年7月場所を最後に十両から遠ざかり、幕下中位で低迷していたが、1999年1月場所に幕下優勝を果たした。翌年の3月場所には久しぶりに幕下上位に戻り十両に返り咲ける地位まで番付を上げたが1勝6敗と負け越し4度目の十両昇進はならなかった。それからは番付を下降していく一方で、2000年7月場所には三段目に陥落。満身創痍の土俵が続いたが序二段陥落が決定的となり2001年1月場所を最後に現役を引退した。 引退後は飲食店で修業し、東大阪市吉田で「ちゃんこ二瀬龍」の店長として勤めており、現在は東大阪市荒本で『韓国料理豚兄トニー』を営んでる。

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桃太郎の由来

幕下時代に名乗った『桃太郎』の四股名は、当時の朝日山部屋には『赤鬼』と『青鬼』というユニークな四股名の力士が在籍していたため、他の部屋に鬼を成敗する桃太郎が出てしまったらいけないと朝日山親方が考えたため、当時入門したばかりの若田中に名乗らせた。後に玄海に改名する際に、桃太郎の四股名も気に入っていたため改名するかしないか悩んだが最終的には下の名として桃太郎を残した。ちなみに、赤鬼は幕下、青鬼は三段目でそれぞれ廃業したが、桃太郎自身は最終的に東十両12枚目まで昇進しており、番付上は赤鬼と青鬼に勝っている。十両昇進時には、桃太郎の絵が描かれた化粧回しを朝日山部屋の後援会から贈られた。 後に桃太郎という名前は剣翔桃太郎湘南乃海桃太郎が名乗っている。

主な戦績

  • 通算成績:372勝358敗 勝率.510
  • 十両成績:17勝28敗 勝率.378
  • 現役在位:102場所
  • 十両在位:3場所
  • 各段優勝
    • 幕下優勝:1回(1999年1月場所)

場所別成績

さらに見る 一月場所 初場所(東京), 三月場所 春場所(大阪) ...
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改名歴

  • 若田中 研二(わかたなか けんじ)1984年3月場所~7月場所
  • 桃太郎 研二(ももたろう-)1984年9月場所~1991年7月場所
  • 玄海 桃太郎(げんかい ももたろう)1991年9月場所~1996年9月場所
  • 田中 研二(たなか けんじ)1996年11月場所~1997年9月場所
  • 威神力 研二(いしんりき-)1997年11月場所~1999年1月場所
  • 玄海 桃太郎(げんかい ももたろう)1999年3月場所~2001年1月場所

関連項目

外部リンク

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