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生田原駅

北海道紋別郡遠軽町にある北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから

生田原駅
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生田原駅(いくたはらえき)は、北海道紋別郡遠軽町生田原にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線である。電報略号イハ事務管理コードは▲122522[2][3]駅番号A53特急「オホーツク」特別快速「大雪」を含む全ての定期列車が停車する[4][注釈 1]

概要 生田原駅, 所在地 ...
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歴史

要約
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1977年の生田原駅と周囲約500m範囲。下が網走方面。少しずれた単式ホーム2面2線と駅裏に短めの4本の留置線と、駅舎横遠軽側に貨物ホームと2本の引込み線を有している。駅裏の留辺蘂側には、留辺蘂との間で運用されていた常紋峠越え補機用蒸気機関車用の転車台の丸く白い跡と、留置用に転用されているかつての待機線が見える。
駅裏には営林署管轄の広大なストックヤード(土場)があり、かつて南西方向(左下)の生田原川上流やその支流の浦島内川上流から上生田原森林鉄道が、本線の下を潜って北上し、ヤードの南へ乗り入れていた。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

野付牛駅(→北見駅)駅から、オホーツク海沿いの湧別駅に向けて建設が行われた湧別軽便線の留辺蘂 - 下生田原(後の安国駅)間の開通に合わせて上生田原駅(かみいくたはらえき)として開業した[5][6][7]。まもなく1916年(大正5年)11月7日に762ミリメートル軌間軽便鉄道から1,067ミリメートル軌間に改軌され、1932年(昭和7年)10月1日に石北本線の駅となり[6]、その後1946年(昭和21年)3月1日に生田原駅に改称された[5]

かつて当駅は林業・鉱業に関わる輸送の中継地として賑わい、南の常紋峠を越える列車に補助機関車を連結するため、転車台や給水設備が設置されて鉄道の運行拠点ともなっていたが、後年これら設備は撤去されている[5]

年表

駅名の由来

隣駅の下生田原駅(→安国駅)と比して、生田原川の上流に位置することから上生田原と名づけられたが[15]、1946年(昭和21年)3月1日に下生田原駅が安国駅に改称するのと同時に、こちらが生田原村(当時)の中心駅であったことから生田原駅に改称された[5]

なお、駅周辺の字名は改称2年前の1944年(昭和19年)2月11日に、生田原村で実施された字名の整理・行政区との区画不一致解消に伴い「上生田原」「上イクタラ」などの雑多な字名を統合し、「生田原」としている[16]

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駅構造

上下で互い違いに設置された上下方向別単式ホーム2面2線の地上駅。以前、上り線は駅舎側のホーム(1番線)と向かい側のホーム(2番線)の両方と接しており、乗降は駅舎側のホームでのみ取り扱っていた[13]。2025年5月現在、2番線の駅舎側ホームを削って1番線から離されたうえ柵が設置され、1番線と2番線は分離されている。両ホームは1番線の遠軽方と2番線網走方を結ぶ構内踏切で連絡する[13]。このほか、1番線の遠軽方に保守用の側線が設置されている[13]

遠軽駅管理の無人駅。現在の駅舎は町の「生田原駅前再開発事業」に伴い建設された、鉄筋コンクリート造り2階建てのものである。建物内には遠軽町生田原図書館(旧:生田原町図書館)とオホーツク地方の文学作品をテーマとした博物館である遠軽町生田原オホーツク文学館が入居する[5][17]

のりば

さらに見る 番線, 路線 ...
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利用状況

要約
視点

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

さらに見る 年度, 乗車人員 ...

駅周辺

生田原市街が広がる。

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
石北本線
普通
安国駅 (A51) - *生野駅 (A52) - 生田原駅 (A53) - *常紋信号場 - (金華信号場) - 西留辺蘂駅 (A55)
*打消線は廃駅および廃止信号場

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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