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田中武夫
日本の活動家、政治家 (-1979) ウィキペディアから
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田中 武夫(たなか たけお、1912年(大正元年)12月8日[1] – 1979年(昭和54年)1月31日[2][3])は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。
経歴
兵庫県出身[2][3]。1937年(昭和12年)中央大学法律科を卒業した[2][3]。
1937年、鉄道省に入省し大阪鉄道局勤務となる[2][3]。その後、川西機械製作所に転じ、労働組合を結成し委員長に就任した[2][3][注 1]。1947年(昭和22年)日本社会党に入党[3]。明石地区労働組合協議会議長、兵庫県労働組合会議副議長、東播労連会長、兵庫県地方労働委員、兵庫労働金庫理事などを務めた[2]。
1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で兵庫県第3区から社会党左派公認で出馬したが落選し、次の第26回総選挙でも次点で落選した[4]。1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙で初当選[2][3][5]。以後、1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙まで再選され[3][6]、衆議院議員に連続7期在任した[2]。この間、検察官適格審査会委員、衆議院公害対策特別委員長、同公害対策並びに環境保全特別委員長、ロッキード特別委員会理事、日本社会党政策審議会特別委員会副委員長、同商工部長、同中小企業部長、同本部統制委員長代理、同本部選挙対策委員、同党代議士会副会長、国会白門会事務局長などを務めた[2][3]。その後、第34回総選挙に立候補したが次点で落選し引退した[7]
1979年1月31日、死去。66歳没。同年2月2日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で正四位勲二等に叙され、旭日重光章を追贈された[8]。
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脚註
参考文献
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