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田中真二
日本のサッカー選手、監督 ウィキペディアから
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田中 真二(たなか しんじ、1960年9月25日 - )は、日本のサッカー選手、サッカー指導者。選手時代には左右のサイドバック、センターバック、守備的MFをこなす、守備のユーティリティープレイヤーとして活躍した。
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経歴
1976年に浦和市立南高等学校(現さいたま市立浦和南高等学校)に進学。同級生の水沼貴史と共に1年次からレギュラーとなり、同年の全国高等学校サッカー選手権大会優勝に貢献、2年次にはベスト4に進出した。3年次には水沼と共に日本ユース代表に選出。1979年に中央大学へ進学すると同年夏に日本で開催されたFIFAワールドユース選手権に出場した。大学2年次の1980年には全日本大学サッカー選手権大会優勝に貢献した。
1983年に日本サッカーリーグ1部の日産自動車(現横浜F・マリノス)に入部。日産黄金時代の主力の一人として活躍した。また、日本代表にも大学時代から選出され、1980年のワールドカップ・スペイン大会予選、1984年のロサンゼルスオリンピック予選、1985年のワールドカップ・メキシコ大会予選に出場するなど国際Aマッチ通算17試合に出場した[1]。
Jリーグ発足直後の1992年、浦和レッドダイヤモンズに移籍。3バックを採用するチームの守備の要として活躍した。1994年には京都パープルサンガでプレーしたがこの年限りで現役引退した。
引退後は福島FC、大塚製薬(現 徳島ヴォルティス)のコーチを務め、1999年から当時日本フットボールリーグ(JFL)の大塚製薬の監督に就任、2003年、2004年とJFLで2年連続優勝し、J2昇格を果たした。2006年9月28日、徳島の成績不振を理由に辞任した。
2007年1月15日、関西サッカーリーグ1部のバンディオンセ神戸(現 Cento Cuore HARIMA)の監督に就任。JFL昇格を目指し関西リーグを2年連続で制し、全国地域リーグ決勝大会に挑んだが2007年は決勝ラウンド4位、2008年は1次ラウンド敗退に終わりJFL昇格を逃した。2008年12月24日、クラブが全所属選手のプロ契約を打ち切り、アマチュアチームに転換することを発表[2] したことに伴い監督を退任した。
2009年からは、サッカー解説者を務めている。
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エピソード
所属クラブ
- 1976年 - 1978年 浦和南高校
- 1979年 - 1982年 中央大学
- 1983年 - 1992年 日産自動車
- 1992年 - 1993年 浦和レッドダイヤモンズ
- 1994年 - 1995年 京都パープルサンガ
個人成績
その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 2試合0得点
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代表歴
出場大会など
- ワールドユース日本大会
- モスクワオリンピック予選
- ワールドカップスペイン大会予選
- ロサンゼルスオリンピック予選
- ワールドカップメキシコ大会予選
試合数
- 国際Aマッチ 17試合 0得点(1980-1985)[1]
出場
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指導歴
- 福島FC:コーチ
- 大塚製薬:コーチ
- 1999年-2006年9月 大塚製薬/徳島ヴォルティス:監督
- 2007年-2008年 バンディオンセ神戸/バンディオンセ加古川:監督
- 2014年 アヴェントゥーラ川口:監督
監督成績
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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