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田中美和子

日本のタレント ウィキペディアから

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田中 美和子(たなか みわこ、1967年12月25日 - )は、日本フリーアナウンサーラジオパーソナリティタレント演歌歌手。現姓:非公表。

概要 たなか みわこ田中 美和子, プロフィール ...
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来歴

千葉県船橋市出身[注釈 1]千葉明徳短期大学幼児教育科在学中に東京ディズニーランドのキャストを務め、仕事ぶりが認められ1988年度の6代目アンバサダーに選出される。

アンバサダー任命以後、短大在学中から『高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団』(ニッポン放送)の制作デスクのアルバイトをしながら、旧知の仲であった『鶴光の噂のゴールデンアワー』(ニッポン放送)のチーフディレクターからの誘いで、初代アシスタントの代わりを決めるオーディションの受験を薦められ受験し合格。元々幼稚園の先生になりたく、短大卒業後の就職先も決まっていたが[2]、同短大卒業後、22歳の時に『ゴールデンアワー』の2代目アシスタントに抜擢される[3][4]

抜擢後、タレント経験がなかったため、ニッポン放送のアナウンサー研修を受講しつつ、番組デビュー[注釈 2][4]。同局子会社の事務所に所属であり、同局に入社しているわけではないが、アナウンサーの同期としては、現:同局報道部副部長で記者の畑中秀哉村上まゆこである[4]。1990年4月から2002年9月までの12年半にわたり同番組のアシスタントを務め、メインパーソナリティの笑福亭鶴光とのコンビネーションは、文化放送吉田照美小俣雅子(『吉田照美のやる気MANMAN!』)と並ぶ人気を得た。並行してbayfmでも『BAY MORNING』の木曜日を担当。また、1999年10月には同番組企画にて、「三十路坂」(みそじざか)で演歌歌手デビューも果たし、翌年第2弾シングル「夢色の人生」を発売し、番組内の企画として品川プリンスホテルにてディナーショーを催し[5]、鶴光含めゲスト歌唱に山本譲二香田晋、サプライズゲストに玉置宏が出演した[4]

2002年9月11日放送分の『噂のゴールデンアワー』にて、同い年の一般人の男性会社員と婚約した事と同年9月27日をもって降板を発表[6]。同年11月3日に東京ディズニーシー・ホテルミラコスタで結婚式・披露宴を行った。その後男児を出産し、翌年年子で2人目の男児を出産し、2児の母親となっている。育児期間が落ち着いた後に芸能活動を再開しており、特に出身地である千葉県内に所在するbayfm及びちばテレビの番組に出演する機会が多い。また、ニッポン放送のワイド番組にリポーターやアシスタントとして出演する場合もある。

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人物

  • 自分を見出してくれた鶴光とは、1988年4月15日、田中がディズニーランドのアンバサダー時代に、当時開業満5周年記念で『噂のゴールデンアワー』がディズニーランドパーク内シンデレラ城下での公開生放送で番組ゲストで呼ばれ、初めて出会った[7]。1年後、同番組のアシスタントオーディションで再会し[3]、以後番組でコンビを組んでいるが、鶴光は初対面時から田中のことを「老け顔姉ちゃん」とイジっていた。しかし、まったくの素人からオーディションを経て番組アシスタントとなり、番組の進行や自身のキャラクターでリスナーからの反応で悩んでいた時にも、ずっと相談に乗ったり、アドバイスを送っていた。その際、芸能界での含めた生き方として、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉を送っている。結婚に伴い『噂のゴールデンアワー』を降板後も、鶴光のニッポン放送での番組やオールナイトニッポンの関連番組などでコンビを組む機会が多く、とても感謝していると回顧している(ラジオ番組表ラジオパラダイス、ニッポン放送の非売品月刊誌JOLFの各紙取材で随時コメント)。
  • 愛称は「お美和子様」。呼称されるようになったきっかけは、『噂のゴールデンアワー』の中の花キューピットがスポンサーの花プレゼントコーナーで、田中が当選者を選んでいることから「『神様、仏様、お美和子様』くらい書かないと、選んでもらえませんよ」と放送中に言ったことから、以後番組中にもこの愛称が取り入れられるようになったという。鶴光はこの「お美和子様」という愛称のイメージについて「お局様であり、尊敬であり、また小馬鹿にしたような言い方でもあり」と話している[1]
  • 性格が天真爛漫なために、『噂のゴールデンアワー』アシスタント時代には、読み間違えてしまったケースも数多く存在する。2002年9月に、シンガーソングライター宇多田ヒカル写真家紀里谷和明との初婚時に入って来た新聞号外の見出しを読み上げた際「宇多田ヒカル ぐ(とつぐ)」を「ぐ(かせぐ)」と読み上げ[1]、楽曲紹介で「天使の誘惑」を歌唱してる黛ジュンの「まゆずみ」を読めず、独断で黛は存在しないと勝手に思い込み風吹ジュンと呼称したり[1]1993年シーズン当時、東京ヤクルトスワローズに所属していた川崎憲次郎沢村賞受賞時に、川崎に対し「新人賞(新人王)おめでとうございます」と違うタイトルを口にした事があった[7]。また、番組見学で同局旧社屋に来訪した当時1999年5月場所で、十両陥落した水戸泉に対し、番組チーフディレクターから「落ち込んでるだろうから、十両おめでとうございますと伝えて来い」と投げ掛けられ「関取、この度は十両おめでとうございます」(この投げ掛けに対し、水戸泉本人は「いやぁ面目無い、後輩に道を譲ろうとして」と切り返した)と大相撲の番付システムを理解しない行動や読み間違える行動を鶴光の番組内のイジリネタにされ、「バカだ」を連呼していた[1]。読み間違えられた後にいじられるケースは現在もなおままあり、bayfmSong of Japan』では「下弦の月(かげんのつき)」を「げげん」と読み、bayfmで長くコンビを組む島村幸男やリスナーにいじられている。
  • 特技の1つにビーズ手芸でアクセサリー製作があり[8]モダンビーズステッチの認定証を取得し、人を集めて指導出来る位の実力を持っている。そのため、自身の番組出演の際の衣装や『月曜から夜ふかし』出演以後は、鶴光のラジオ番組でノベルティ品として、リスナープレゼント提供している[要出典]
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出演番組

現在

ラジオ

テレビ

過去

ラジオ

ニッポン放送
bayfm
  • DISNEY WEEKEND BREAK(1993年 - 2015年3月)[9]
  • TOKYO BAY MORNING(2002年)※木、金曜
  • bayfm year end‐new year special 2020‐2021 音個知新 ‐明日を照らす音‐(2021年1月1日)※第2部 new-year zone パーソナリティ

テレビ

映画

  • メグ・ライオン(2020年、監督:河崎実) - お局OL 役
  • タヌキ社長(2022年5月20日公開、監督:河崎実)[10]

配信

  • 上柳昌彦と坂本梨紗のおしゃべりぞーん(2024年6月7日・14日、2025年1月31日・2月7日・14日、4月4日・11日、YouTube) - ゲスト

舞台

  • 劇団チェンジアップ 第3回公演「笑あっぷあっぷナイター」(2025年1月11日 - 13日、コフレリオ新宿シアター)[注釈 3]

その他

ナレーション

ディスコグラフィ

『鶴光の噂のゴールデンアワー』の企画で制作。両作品ともプロデュースは笑福亭鶴光

  • 三十路坂〜明日があるじゃない〜(2000年2月23日発売、日本クラウン、作詞:高畠じゅん子 / 作曲:桜田誠一 / 編曲:南郷達也)
「うぐいすだにミュージックホール2000」(笑福亭鶴光)のカップリング曲。CRDN-657 
c/w「宝船だよ!!七福神」※笑福亭鶴光とデュエット。TEDA-10494 
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脚注

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関連項目

外部リンク

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