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黛ジュン
日本の歌手、女優 (1948-) ウィキペディアから
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黛 ジュン(まゆずみ ジュン、本名:渡邊[要出典] 順子(わたなべ じゅんこ)、1948年5月26日 - )は、日本の歌手、女優、作曲家。東京都調布市出身。
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概略
要約
視点
活動開始は古く、1956年、8歳から歌手活動を始めている。品川区立冨士見台中学校卒業後、本名で各地の米軍キャンプをジャズ歌手として巡った。
1964年に「渡辺順子」の名でデビューするもヒットせず、1967年に石原プロモーションへ移籍する。作曲家の黛敏郎のファンだったことと、パンチのある歌唱力から「黛ジュン」と改名し、東芝音楽工業(現:ユニバーサル ミュージック合同会社)から「恋のハレルヤ」で再デビュー。ミニスカートと共にパンチの効いた歌声で一気に注目を集める。グループサウンズのブーム[1]と同時代に活躍したこととサウンドから、中村晃子らとともに一人GSとも呼ばれた。「土曜の夜何かが起きる」ほかの曲は、一人GSの有名曲である。鈴木邦彦が、作曲を担当することが多かった。兄の三木たかしが作曲したヒット曲もある。
1968年にリリースされた「天使の誘惑」は更なる大ヒットとなり、その年の第10回日本レコード大賞に輝いた。1967年から1968年の2年間で、レコード売上が500万枚を記録。自身のヒット曲が主題歌となった映画にも出演。「天使の誘惑」「夕月」では主演に抜擢、売れっ子女優にもなった。また年末恒例のNHK紅白歌合戦では、1967年の第18回から1970年の第21回まで、4年連続で通算4回の出場を果たしている。
1970年2月1日を以って、橋幸夫が所属するワールド・プロへ移籍[2]。同年にスタジオミュージシャンの江藤勲と婚約[3]、結婚し一旦引退する。しかし、江藤の家庭内暴力などが原因で、1973年に離婚。その後本格的に芸能界へ復帰する。しかし以前のような人気は得られず低迷したため、1980年にはレコード会社をCBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)へ移籍、「風の大地の子守唄」などを発表した。さらに、1983年には日活ロマンポルノ「女帝」にも出演する。1993年には久々の新曲「すべてがさよならになる」を発売。2005年には、1970年に東京サンケイホールで行われた『リサイタル'70』などがCD化された。
またドラマーの石田秀雄と2回目の結婚となるが、1994年に再び離婚。2001年、作詞家の里村龍一と婚約を発表し話題を集めたが、里村がその後知り合いのイタコに相談したところ、「二人の相性が最悪。5年後には歌を辞めるように」と告げられたことがきっかけで、里村から別れを切り出され、わずか2か月で婚約破棄される羽目になった。
2009年5月11日、兄の三木たかしが64歳で死去。同年1月13日、『NHK歌謡コンサート』で30年ぶりの兄妹共演を果たしてから、わずか4か月後の悲報だった。実兄の最期を看取ることは出来ず、「兄のギターで歌っていた幼い日々や、初めて兄の作品を吹き込みした時のことが、次々と甦ってきて今は言葉にできません。申し訳ありません」とFAXでコメント。その後、5月19日の通夜の席では「今年3月初めに余命の告知を受け覚悟はしていましたが、あまりにも突然でまだ受け止めることが出来ません」「私は兄に褒められたくて一生懸命歌ってきた。兄には『私はこれからどうしたらよいのか教えてちょうだい』と言いたい」と終始大粒の涙を流しながら、悲痛な表情を浮かべていた[4]。それから1か月後の同年6月16日、『NHK歌謡コンサート -特集・三木たかしの世界-』が生放映。黛は亡き実兄との想い出話を語った後、三木の作曲で大ヒットとなった「夕月」を、哀しみを抑えて歌唱した。
その後も、舞台やディナーショーを中心に歌手として活躍していたが、2011年1月、約5年前に発症した原因不明の喉の病気で歌声が思うように出せなくなり、歌手活動休止を示唆するコメントを表明。同年2月には黛自らが作曲した「博多山笠女節」を長山洋子[注釈 1]に提供し作曲家としてデビュー。しかしその後、喉アレルギーの原因が判明し治療を続けた[5]結果、2012年に入ってからはほぼ完治。また自身が作曲した新曲も発売するなど、活動を本格的に再開した[6]。
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人物・エピソード
ディスコグラフィ
シングル
- 渡辺順子名義
- 黛ジュン名義
- 自主制作盤
デュエット・シングル
企画シングル
- 3BABAが行く(2000.8.23)…うつみ宮土理、岡本夏生、瀬川瑛子、美川憲一らとのユニット「ヒガンバナ+1」としてリリースした。
アルバム
- 恋のハレルヤ(1967.12.1)
- 黛ジュン・リサイタル(1968.6.10)
- 天使の誘惑(1969.2.10)
- ジュンの世界(1969.5.10)
- 或る日のジュン(1969.12.1)
- 黛ジュン・リサイタル '70(1970.3.10)
- 自由の女神(1970.8.5)
- 憂愁 ジュンのお部屋(1971.4)
- 途はひとつ(1972.10)
- 愛情物語(1972.12)
- 黛じゅん・オン・ステージ(1973.2)
- 黛じゅんと浜圭介の世界(1973.12)
- 風雅なる幻想の世界(1974.12.10)
- サバンナ発(1980.11.21)
- 夢追いびとよ(1981.7.21)
- 灼熱のミニスカ・ダイナマイト!!(1994.11.9)
- 黛ジュン ベスト30(2001.8.22)
- 黛ジュン ゴールデン☆ベスト(2002.6.19)
- 甦る「真赤な太陽」(2002.7.24)
- ザ・デラックス・ビューティー(2003.9.18)
- 黛ジュン2 ゴールデン☆ベスト(2004.3.24)
タイアップ曲
楽曲提供
- 長山洋子
- 博多山笠女節(2011年、作曲)※ジュン黛名義。
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NHK紅白歌合戦出場歴
(注意点)
- 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。
出演
映画
- 君は恋人(日活映画。目に大けがをして療養していた浜田光夫の復帰第一作。黛は「恋のハレルヤ」を歌う)
- 夜明けの二人(松竹映画。橋幸夫と共演のメロドラマ。ハワイ100年祭記念作品)
- 天使の誘惑(松竹映画。石坂浩二、石立鉄男との共演。同名ヒットソングの映画化)
- 恋の乙女川(松竹映画。橋幸夫、尾崎奈々との共演。BGMとして夕月(唄とセリフ入り)が使われた。
- 夕月(松竹配給。森田健作との共演。森田はこれがデビュー作。同名ヒットソングの映画化)
- 涙でいいの(日活配給。黛の同名曲をタイトルにした作品)
- 「東京⇔パリ 青春の条件」(松竹配給。橋幸夫の芸能生活10周年記念映画。橋、舟木一夫、西郷輝彦のいわゆる“御三家”が共演した唯一の作品)
- 女帝(にっかつ配給。三越事件に材をとったフィクション)
テレビドラマ
- てなもんや三度笠(1962年 - 1968年、ABC)ゲスト
- 花の恋人たち(1968年、毎日放送)
- 土曜ワイド劇場(ABC)
- 女教師 白い肌の記憶(1983年)
- 松本清張の黒い樹海(1986年)
- 火曜サスペンス劇場「姉は二度死んだ」(1984年、日本テレビ)
- 新・事件「断崖の眺め」(1984年、NHK)
- 特捜最前線 第385話「新幹線出張殺人!」(1984年、テレビ朝日)
- 木曜ゴールデンドラマ「暴力中学II・ある教師の詩」(1984年、よみうりテレビ)
- 花へんろシリーズ(1985年 - 1988年、NHK)
- 現代怪奇サスペンス「イジメは高くつく」(1986年、関西テレビ)
- ギャルボーイ!(1997年、テレビ朝日)
- 月曜ドラマスペシャル「早乙女千春の添乗報告書7・函館湯けむりツアー殺人事件」(1998年、TBS)
ビデオ
- 戯れの彼方(1992年、大陸書房)
- 艶華(1994年、にっかつビデオ)
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書籍
- 黛ジュン写真集―ワシントン・コネクション(1984年、アイドル出版)
- 黛ジュンのナチュラル・エクササイズ(1994年、扶桑社)
- 女はみんな華になれ―私の更年期障害(2003年、世界文化社)
受賞
- 第10回日本レコード大賞(1968年) - 大賞
- 第56回日本レコード大賞(2014年) - 功労賞
脚注
関連項目
外部リンク
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