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田主丸町

日本の福岡県浮羽郡にあった町 ウィキペディアから

田主丸町
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田主丸町(たぬしまるまち)は、かつて福岡県の中南部に位置した浮羽郡に属していた。

概要 たぬしまるまち 田主丸町, 廃止日 ...

久留米市への通勤率は12.1%(平成12年国勢調査)。巨峰発祥の地。

現在は久留米市東部にある旧竹野郡(のち浮羽郡)域を由来とする地域となっている。福岡県の中南部に位置しており、北に筑後川、町の中心部を巨瀬川が還流し、南に耳納連山が連なる果樹栽培が盛んな町でもある。2005年2月5日に久留米市へ編入合併された。

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地理

隣接していた自治体

歴史

町名由来

そもそも筑後国全権田主丸大庄屋、菊池丹後が田主丸町の開祖である。その丹後の往生観でもある「我極楽世界楽生」の「我楽しう生まる」から「たぬしまる」の名が付いたと伝えられている。そのため、現在でも「たのしまる」と呼ぶ人が多い。

近現代

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産業

農業

元禄年間に始まった庭木苗木の栽培は、近代以降、山林への植林が国策となったことで、一時は山林苗の6割を栽培し[3]1974年(昭和49年)には町内の農家約3,000戸のうち約2,500戸が庭木や苗木を栽培していた[4]。現在でも、柑橘類の苗木は、日本のシェアの8割を生産している[3]

1967年(昭和42年)に200本が植え付けられた巨峰[3]は、イチジクカキミカンと共に、観光目的のフルーツ狩りとして盛んになった[5]

工業

うきは市とまたがる久留米・うきは工業団地が整備され、2022年(令和4年)には資生堂九州工場が完成した[6]

商業

1957年(昭和32年)に売春防止法が制定されるまでは町の中心部に歓楽街があり、最盛期には女郎屋などが約70軒あった[4]

交通

鉄道路線

バス路線

  • 西鉄バス久留米
    • 行先番号
      • 「20」(JR久留米 - 吉井 - 浮羽)
      • 「23」(JR久留米 - 百年公園 - 田主丸駅前)
      • 「24」(大学病院 - 西鉄久留米 - 吉井 - 浮羽)
      • 「25」(JR久留米 - 草野 - 田主丸 - 上原)
  • 日田バス
    • 急行久留米線
      • 停留所:田主丸中央
  • 甘木観光バス
    • 甘鉄甘木駅 - 田主丸中央病院

道路

スポット

Thumb
月読神社

出身・ゆかりのある人物

  • 鹿毛久次郎(酒造業、政治家) - 田主丸町長
  • 倉富 勇三郎(くらとみ ゆうざぶろう)- 幕末の嘉永年間、現久留米市田主丸町大字船越の儒学者倉富胤厚の3男に生まれた。明治から昭和にかけての司法宮内官僚法学博士男爵法制局長官貴族院勅選議員枢密院議長。法典調査会刑法起草委員。作家広津柳浪は夫人の兄に当たる。国立国会図書館「憲政資料室」に、詳細で膨大な『倉富勇三郎日記』が所蔵されている。
  • 中野 宗助(なかの そうすけ、1885年明治18年)7月20日 - 1963年昭和38年)3月2日)は、日本剣道家。段位範士十段流派鉄仲流。幼くして地元田主丸の剣道家・教育者である吉瀬善五郎(きちぜ・ぜんごろう)に弟子入りしてその才能を大きく開花させ、そして生涯を剣道に捧げ、ついに昭和期を代表する剣士として知られるようになった。久留米市田主丸町田主丸在の來光寺に中野宗助の記念碑と墓所が所在する。
  • 綾部 市太(あやべ いちた、1888年(明治21年)2月21日 - 没日不明)は日本の政治家、実業家。現久留米市田主丸町竹野出身。実家は苗木屋。大正6年に宮崎県の現日向市富高に移住し、苗木の育苗と販売を始める。昭和に入ってから敷地にツツジを植えはじめ「迎洋園」と呼ばれて花の名所となる。因みに「迎洋園」のあった場所は後に宅地化され、日向市迎洋園としてその名を残す。昭和6年に日知屋干拓工事の認可が下り、門川の米良文治と共同でえん堤を作り干拓工事を進めた。昭和12年に宮崎県議に当選。耳川分水実現のため尽力する。
  • 牧原大成 - プロ野球選手福岡ソフトバンクホークス
  • 乙一 - 小説家
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脚注

関連項目

外部リンク

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