トップQs
タイムライン
チャット
視点

SUPERCAR

日本のロックバンド (1995-2005) ウィキペディアから

Remove ads

SUPERCAR(スーパーカー)は、日本ロックバンド。活動期間は1995年 - 2005年。

概要 出身地, ジャンル ...
概要 YouTube, チャンネル ...
Remove ads

メンバー

ボーカルギター作曲、シンセサイザー担当。青森県十和田市出身。愛称は「ナカコー」。バンド時代からNYANTORA名義でソロ活動を始め、解散後は、「iLL」として活動開始。

ギター、作詞担当。青森県十和田市出身。愛称は「ジュンジ」。初期は本名の石渡淳治名義で活動していた(作詞時も同名義を使用していた)。

解散後は音楽プロデューサー作詞家として活動しており、チャットモンチー9mm Parabellum BulletサウンドプロデューサーNONA REEVESSUEMITSU & THE SUEMITHなどの作詞提供、『ROCKIN'ON JAPAN』(ロッキング・オン)での連載などを手掛けている。

ベース、ボーカル担当。青森県八戸市出身。初期は本名の古川美季名義で活動していた。愛称は「ミキちゃん」。解散後はソロ活動を開始。2011年に再び中村と組み「LAMA」結成。

ドラムス担当。青森県十和田市出身。愛称は「コウダイ」。解散後はaM™[aem]として活動し、他アーティストのプログラミング、プロデュース、グランツーリスモ5グランツーリスモ6への楽曲提供等も行っていた。音楽活動を継続しつつ、2014年より青森県十和田市で一般職に就いている。

Remove ads

来歴

要約
視点

1995年、当時八戸市で寮生活を送っていた石渡が同市内の「楽器の文明堂」(既に閉店)に貼られていたバンドメンバー募集の張り紙に興味を持ち、そのバンドに連絡を取る。しかし一向に動きがみられなかったため、石渡が小学校時代からの幼馴染の中村と中学時代に野球部でバッテリーを組んでいた田沢を誘い、そこに張り紙を貼ったバンドのメンバーだった古川を逆に招く形で結成。バンド名は石渡が命名した[1]

同年の夏に初めて曲を作り、地元の「ビートルズマニアのおじさん」の家で5曲ほど録音したデモテープを秋にソニー・ミュージックのオーディションに応募したところすぐに返事が来る[2]。しかしデビュー契約ではなくスタジオ代を応援する旨の契約だった(いわゆる育成期間)。確実にプロになれる保証もなかったためメンバーは進路についてかなり悩んだが、ほとんどが進学や仕事を辞め音楽に専念する道を選ぶ。石渡は高専に通っていたため、彼のみ学校に通いながらバンド活動をしていた[1]。石渡がなぜ自分たちを通してくれたのかソニーの新人開発担当に聞いたところ、「字がきれいだったから」と言われたという。

1年間の育成期間を経て1997年4月にレコーディングを始め、同年9月21日にエピックレコードジャパン内のレーベル兼事務所「dohb discs」(ドーブ・ディスクス)からシングル「cream soda」でデビュー。デビューするまでライブ経験は無かった。同時期に登場したナンバーガール中村一義くるりらとともに「'97の世代」と呼ばれ、新世代のオルタナティヴ・ロックバンドとして注目される。翌1998年3月に石渡が高専を卒業し、4月1日に初のアルバム『スリーアウトチェンジ』をリリース。初動の売り上げは10万枚程度だったものの、長期に渡って売り上げを伸ばし実売は20万枚弱になる。この頃には当時勢いのあったバンド、TRICERATOPSなどと一緒に「スニーカー系」と呼ばれた。

デビュー当初はディレクターとメンバー4人でチームを作ってバンドの運営を行っており、ミュージックビデオ制作もそのチームで行っていた。またいわゆる「地元在住ミュージシャン」のはしりでもあり、レコーディングやプロモーションの際に上京するというスタイルで活動していた。東京ではホテル生活だったが、滞在期間を短くするために過密なスケジュールを組んでいたため、長い時には40連泊したこともあったという[1]。1999年の正月に上京。

2000年に発表された3作目のアルバム『Futurama』からはエレクトロニカを取り入れるようになる。これについて中村は具体的にROVOコーネリアスからの影響を挙げている。シングル「YUMEGIWA LAST BOY」には、エレクトロニカ、エレクトロサウンドを得意とするプロデューサー砂原良徳を起用。その次のシングル「AOHARU YOUTH」、アルバム『HIGHVISION』『ANSWER』には益子樹(ROVO、DUB SQUAD、ASLNなど)をプロデューサーに起用している。サウンドとリンクするように彼らは映像面でも田名綱敬一、宇川直宏などといった映像作家とのコラボレーションも行った。

2005年2月26日にSTUDIO COASTにて行われたラストライブをもって解散。解散理由は公表されていないが、後日雑誌インタビューで石渡は、活動後半からエレクトロサウンドに特化され始め詞より曲派の中村・古川と、詞を大切にしたい石渡とで方向性にズレが生じ始めたと語っている。

解散後

2011年、中村の監修による過去の音源の再構築アルバム『RE:SUPERCAR -redesigned by nakamura koji-』、後に『RE:SUPERCAR 2-redesigned by nakamura koji-』をリリース。

2017年9月21日のデビュー20周年を記念し、オリジナルアルバム5作がアナログ化され順次リリースされた。さらに2018年4月には初のオールタイム・ベストアルバム『PERMAFROST』がリリースされた。

2022年、公式YouTubeチャンネルが開設され、これまでのMVを順次公開している。

Remove ads

作品

要約
視点

シングル

さらに見る タイトル, 発売日 ...

アルバム

さらに見る タイトル, 発売日 ...

企画盤

さらに見る タイトル, 発売日 ...

ベストアルバム

さらに見る タイトル, 発売日 ...

映像作品

さらに見る タイトル, 発売日 ...

参加作品

さらに見る タイトル, 発売日 ...
Remove ads

タイアップ一覧

さらに見る 使用年, 曲名 ...

ヘビーローテーション/パワープレイ

テレビ

さらに見る 放送年, 曲名 ...
Remove ads

主なライブ

ワンマンライブ・主催イベント

  • 1998年 - TOUR '98 "Hi Booster"
  • 1998年 - TOUR'98 "Sunday People"
  • 1999年 - TOUR '99 "JUMP UP"
  • 1999年 - TOUR '99 "OORight!!!!"
  • 2000年 - TOUR 2000 "FLOOR EXTRA"
  • 2001年 - TOUR 2001
  • 2002年 - TOUR 2002 "HIGHVISION"
  • 2004年 - TOUR 2004 "ANSWER"
    w/七尾旅人
  • 2005年02月26日 - スーパーカー・ラストライヴ

出演イベント

Remove ads

関連項目

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads