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白子町 (鈴鹿市)
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白子町(しろこちょう)は、三重県鈴鹿市にある地名。白子は「しらこ」と誤読されることがある[注 1]が、正しくは「しろこ」と読む。
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地理
鈴鹿市南東部に位置する。白子郵便局がある地域が最大の面積を持ち、白子港と鈴鹿工業高等専門学校付近に飛び地が見られる。
歴史
白子 (鈴鹿市)#歴史も参照。
白子は古代より開けた地域であり、江戸時代には港町・宿場町として賑わった。発展の背景には別邸を置いた紀州藩や、伊勢湾の拠点として利用した伊勢商人の存在が大きい。
明治時代には、白子町と寺家村、江島村が合併して白子町が誕生、この地域は白子町大字白子となり、同町の中心となっただけでなく、郡役所・駅・海陸物産市場が置かれ[5]、郡の中核としても発展した。ただし、白子港に関しては近代以降整備が進んだ四日市港に覇権を奪われ衰退した[5]。
1937年(昭和12年)には鈴鹿海軍航空隊・基地が設置され、白子港は軍港に変貌し町には相次いで大日本帝国海軍関係の施設が建設された[5]。第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)には当時異例と称された[6]2町12村の合併で鈴鹿市が発足、大字白子は再び白子町という町名に戻った。
1947年(昭和22年)11月、鈴鹿簡易裁判所が河芸郡団体事務所庁舎内に開設され、1954年(昭和29年)7月の移転まで使用された[7]。1948年(昭和23年)、区域変更問題が発生し、再び独立した地方公共団体である白子町に戻そうとする運動が見られたが、反対派が賛成派を若干上回り回避される。1973年(昭和48年)には白子町の西部が分割され、一部は鈴鹿市東旭が丘(一 - 六丁目)・中旭が丘(一 - 四丁目)・南旭が丘(一 - 三丁目)となり、1978年(昭和53年)には東部も分割されることになり、一部は白子(一 - 四丁目)、白子本町、白子駅前という町名となった[8]。更に2001年(平成13年)にも区画整理により、白子町の一部が東旭が丘一丁目及び中旭が丘一丁目に編入された[8]。
地名の由来
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、奄芸郡(あんきぐん・あんげぐん)白子町白子となる。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 奄芸郡が河曲郡(かわわぐん)と合併したことにより河芸郡(かわげぐん)白子町白子となる。
- 1942年(昭和17年)12月1日 - 市町村合併により、鈴鹿市白子町となる。
- 1973年(昭和48年)11月1日 - 白子町の西部が分割され、一部は鈴鹿市東旭が丘・中旭が丘・南旭が丘となる[8]。
- 1978年(昭和53年)11月1日 - 白子町の東部が分割され、一部は鈴鹿市白子・白子本町・白子駅前となる[8]。
- 2001年(平成13年)2月10日 - 区域変更により、白子町の一部が東旭が丘・中旭が丘になる[8]。
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世帯数と人口
2019年(令和元年)6月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 2,310人 | [11] | |
2000年(平成12年) | 2,205人 | [12] | |
2005年(平成17年) | 2,222人 | [13] | |
2010年(平成22年) | 2,189人 | [14] | |
2015年(平成27年) | 2,549人 | [15] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 759世帯 | [11] | |
2000年(平成12年) | 699世帯 | [12] | |
2005年(平成17年) | 731世帯 | [13] | |
2010年(平成22年) | 751世帯 | [14] | |
2015年(平成27年) | 926世帯 | [15] |
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[16]。
交通
施設
- 白子郵便局
- 鈴鹿工業高等専門学校
- 鈴鹿建機株式会社本社
- 株式会社優木ハウジング
- 三重舗道株式会社
- 社会福祉法人野町福祉会 大鳥保育園
- JSS白子スイミングスクール
その他
日本郵便
脚注
参考文献
外部リンク
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