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百万刈
秋田県横手市の地名 ウィキペディアから
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百万刈(ひゃくまんがり)は、秋田県横手市の大字。郵便番号は013-0828[3]。人口は195人、世帯数は57世帯(2020年10月1日現在)[1]。旧平鹿郡黒川村大字百万刈、旧平鹿郡百万刈村に相当する。
地理
横手市の北部、横手地域の北西端に位置しており、東で黒川・下境、西で大雄、北で大仙市角間川町、南で塚堀と隣接する。西端を大戸川が北西に流れ、北端で横手川と合流する[2]。水田中心の純農村地帯で、南北に細長い領域を有する[2]。大戸川に沿って上流から上根田・下根田・百万刈・百万刈落合の各集落がある[5]。大戸川と横手川が合流する百万刈落合集落を県道71号大曲横手線が南北に縦貫する[5]。
全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[6]。都市計画法上の用途地域には指定されていない[7]。
地名の由来
菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』によると、川の蛇行がひどくて百曲りであるとの意味を「百万苅」という字に宛てていると記されている[8]。
『久保田領郡邑記』によると、この百曲がりごとに淵があり、淵ごとに河童がいたという。あるとき、横手の戸村十太夫がこの地に小島狩に訪れた際、草履取りが川に入り、河童に襲われて命を落とした。これに怒った戸村が淵を干上がらせて河童を捕らえ、殺した。その後、99曲がりの河童たちがこの河童を探し回ったため、川の水が濁るようになり、「濁川」と呼ばれるようになったという伝承が記されている[8]。
小字
2024年(令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ」[9]、デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット」[10]、横手市公表のオープンデータ[11]によれば、百万刈の小字は以下の通りである。
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歴史
百万刈は、鎌倉時代に当たる文永3年(1267年)の開村と伝えられており、慶安2年(1648年)に根田川村・落合村が合併して百万刈村と称したとも、百万刈村・根田川村が検使役の指示によって合併して百万刈村としたとも言われている[12]。また、延宝5年(1755年)に新田村を合併したとも言われる[12]。
正保4年(1647年)の『出羽国知行高目録 下』には百万曲村として村名が見え、享保年間までの村高を記録した郷帳に記載された町名を調べた『平鹿郡御黒印吟味覚書』でも、百万曲村として記載がある[13]。百万曲村は次いで百万苅村、百万苅根田川村と村名が変遷する[13]。享保15年(1730年)の『六郡郡邑記』によると、百万苅根田川村は家数8軒、支郷に落合村(家数12軒)・下根田川村(同12軒)・上根田川村(同4軒)がある[14]。
年表
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世帯数と人口
2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口・世帯数の推移
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[25]。
交通
鉄道
バス
町内にバス路線及びバス停はない。
道路
施設
参考文献
- 吉田東伍『大日本地名辞書』 下巻 二版、冨山房、1907年10月17日。doi:10.11501/2937059。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 5(秋田県)、角川書店、1980年3月。全国書誌番号:80016503。
- 平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名大系』 5(秋田県の地名)、平凡社、1980年6月。全国書誌番号:80028503。
- 横手市史編さん委員会『横手市史』 昭和編、横手市、1981年11月3日。doi:10.11501/9570576。
- 伊沢慶治『横手ものしり事典』東洋書院、1984年10月。doi:10.11501/9571321。
- 横手市 編『横手市史』 通史編 近世、横手市、2010年3月。全国書誌番号:21995094。
脚注
外部リンク
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