トップQs
タイムライン
チャット
視点
石田光彦
ウィキペディアから
Remove ads
石田 光彦(いしだ みつひこ、1915年10月25日 - 1980年[1])は、山口県出身のプロ野球選手(投手)。ノーヒットノーランを2度達成している。
Remove ads
来歴・人物
軟式野球の東京リーガル協会[2]から阪急軍のテストを受け、重松通雄とともに[3][4]入団。
打者を「幻惑[2][3]」するために、以下のように多彩な変則投法を繰り出し、千葉茂に「チャップリン投法」と評された[2]。
- 投球前に右手で胸の前で十字を切る[3]。本人はキリスト教徒ではなかったという[2]。
- 「千手観音のごとく」、1球ずつ違うリリース角度で投げた[2]。
- ワインドアップから一度、打者に背中を向ける「元祖トルネード投法」[2][3]。球威を増す目的のフォームではなかったという[3]。
- 投球フォーム途中で打者から目を切り、投球をやめる[3]。
- スコアボードやスタンドを長く見詰め続け、投球動作に移らない[2]。
1937年7月16日のセネタース戦で球団初のノーヒットノーラン[3]、16勝を挙げた1940年には2度目のノーヒットノーランを達成した[3]。1941年に南海軍へ移籍[3]。1943年に大和軍へ移籍[2]。1946年にゴールドスターにプロ復帰して球団最初の開幕投手を務めたが、同年に引退した。
1946年を最後にプロ野球界から離れたが、1948年(昭和23年)の第19回都市対抗野球に、北関東代表の山藤クラブ(前橋市)の投手として出場している。
東京リーガル協会以前の経歴は不明な点が多く、「法政大学中退」「府立一中出身」など、様々な説がある。最終的には豊浦中出身で落ち着いたが、1学年上で同校OBの戸倉勝城は「うちの学校にそんな選手はいなかった」と話す[5]。
投手としての球種はカーブ、シュート。
Remove ads
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- ノーヒットノーラン:2回 ※史上3人目
- 1937年7月16日、対東京セネタース戦、洲崎球場
- 1940年8月22日、対ライオン戦、大連満倶球場
- イニング最多連続与四球:5(1943年5月2日)※日本記録
背番号
- 3(1936年 - 1942年)
- 20(1943年)
- 14(1946年)
Remove ads
脚注・出典
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads