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石貫宏臣

日本の元プロ野球選手 ウィキペディアから

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石貫 宏臣(いしぬき ひろおみ、1969年6月5日 - )は、福岡県久留米市出身[1]の元プロ野球選手投手、左投左打)・コーチ

概要 基本情報, 国籍 ...
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来歴・人物

プロ入り前

西日本短大附高では、エースとして甲子園に2回出場。2年時の1986年夏の選手権は、1回戦で県岐阜商の大野直(法大熊谷組NTT関東)と投げ合うが完封負け。翌1987年春の選抜では、1回戦でこの大会に優勝したPL学園と対戦。野村弘樹橋本清の継投の前に惜敗した[1]。夏の県大会では7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成。投手としては小柄ながら、速球を武器にしていた。当時のチームメイトには、同期に後にロッテでも同僚となる柴原浩、1年上に青柳進、後藤将和(ダイエー)、2年下に新庄剛志と、自身と同じく卒業後にNPBの球団へ入る選手が揃っていた[1]

1987年のNPBドラフト会議で、広島東洋カープからの2位指名を受けて入団。

プロ入り後

入団3年目の1990年に一軍公式戦へのデビューを果たすと、ワンポイントリリーフで3試合に登板した。

1991年には、チームに不足していた左腕の中継ぎ要員として、一軍公式戦46試合に登板。6月2日の対ヤクルトスワローズ戦(長岡市悠久山野球場)で一軍初勝利、7月21日の対横浜大洋ホエールズ戦(横浜スタジアム)で一軍初セーブを挙げた。一軍公式戦全体で5勝1敗1セーブ、防御率1.98という好成績を残すとともに、チームのセントラル・リーグ優勝に貢献した。同年の西武ライオンズとの日本シリーズでは3試合に中継ぎとして登板している。

1992年には、一軍公式戦32試合に登板したものの、0勝2敗、防御率5.20と不振。前年の登板過多の影響で左肩を痛めたこともあって、1993年以降は一軍公式戦への登板機会がなかった。

1995年には、公式戦開幕直後の4月に、金銭トレードで地元球団の福岡ダイエーホークスへ移籍。しかし、一軍への昇格を果たせないまま、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。通告後に千葉ロッテマリーンズへの入団テストを経て移籍するが、一軍公式戦への登板には至らず、1996年限りで現役を引退した。

現役引退後

引退後は、ロッテに残り1997年から打撃投手に転身した[1]。後に一軍チーフスコアラーを兼務。公式戦の試合中には、ベンチ内でデータ分析を担当していた[2]2017年からは、新設ポストの一軍戦略コーチを務める[3]。同年10月11日に来季コーチ契約を行わないことを通告された[4]。 以降はフロント入りし、2023年現在は査定担当。

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詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

記録

背番号

  • 48 (1988年 - 1991年、1996年)
  • 19 (1992年 - 1995年途中)
  • 59 (1995年途中 - 同年終了)
  • 107 (1997年 - 2005年、2007年 ‐ 2016年)
  • 85 (2017年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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