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祇園井特
1755-1815, 江戸時代の京都の浮世絵師 ウィキペディアから
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来歴
師系・姓不詳。俗称特右衛門。字は伯立。祇山井特、画奴井特、鴨川井特などと号す。印には不規則な楕円形(千鳥を表している)の中に「せい とく」と二行に記したものを使用している。なお、この印は享和2年(1802年)秋賛「歌妓図」(本居美濃賛、京都府立総合資料館蔵)から欠損が見られ、制作年を判断する目安に使える。京都・祇園町南側で井筒屋という青楼を経営し、淫薬、淫具を商って渡世を送った。寛政から文政期にかけて円山派の画風を私淑し、京都独特の艶麗さとアクのある作風をもって特異な肉筆美人画を多く描いた。円山派の絵師で美人画を多く描いた山口素絢に絵画を学んだともいわれる。特に大首絵による美人図は強烈な迫真性をもち、名状し難いリアルな雰囲気をもつものである。肉筆の美人画で大首絵を描くこと自体が稀有であるが、理想化された美人イメージを描き出す浮世絵美人画としては珍しく女性の個性が描き分けられており、時にモデルの容貌の欠点をも容赦なく描写するのが井特画の特徴である。1点のみ版本の挿絵があり、文政10年(1827年)に『墨絵草紙』の口絵を描いたといわれる。更に、京都の眼医者である柚木太淳著『解体瑣言』(寛政11年(1799年)刊)によると、著者が寛政9年(1797年)に腑分けをした時に、その記録画を制作したという。
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作品
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脚注
参考文献
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