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稲垣定計
日本の江戸時代中期~後期の大名 ウィキペディアから
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稲垣 定計(いながき さだかず)は、近江山上藩の第4代藩主。
生涯

旗本稲垣昭倫(三河刈谷藩主・稲垣重昭の次男)の次男[1][2]。享保13年(1728年)[1][2]、もしくは享保18年(1733年)6月22日[要検証]の生まれ。幼名は鎌吉[1]。
先代藩主の稲垣定享には女児2人しかいなかったため、元文5年(1740年)定享が死去すると、6月21日にその末期養子として跡を継いだ[1]。延享元年(1744年)11月15日、将軍徳川吉宗に御目見する[1]。延享2年(1745年)10月18日、従五位下・若狭守に叙任する[1]。寛延2年(1749年)4月7日に周防守に改める[1]。宝暦8年(1758年)11月15日に大番頭となる[1]。宝暦12年(1762年)12月27日長門守に改める[1]。天明元年(1781年)10月12日に大坂定番を命じられる[1]。寛政3年(1791年)10月13日に定番を辞任し、翌年11月20日に長男の定淳に家督を譲って隠居[1]。寛政7年(1795年)7月に剃髪して南岳と号した。
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系譜
父母
正室
子女
出典
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