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稲垣重昭
江戸時代の藩主 (1636-1703) ウィキペディアから
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稲垣 重昭(いながき しげあき)は、三河刈谷藩の第2代藩主。鳥羽藩稲垣家3代。幼名・重祥[1]。
生涯

寛永13年(1636年)、刈谷藩初代藩主稲垣重綱の長男・稲垣重昌の長男として生まれる[1]。父・重昌は稲垣家の世子であったが、重昭誕生の前年に死去した[1]。正保4年(1647年)10月、将軍・徳川家光に初めて拝謁[1]。
承応3年(1654年)3月3日、祖父の死去により家督を継いだ[1]。このとき、叔父の稲垣茂門の子・稲垣昭友に3000石を分与したため、稲垣家は2万3000石から2万石の大名となる[1]。
明暦元年(1655年)12月に従五位下・信濃守に叙位・任官する[1]。寛文元年(1661年)7月に大坂加番に任じられる[1]。寛文11年(1671年)9月23日、叔父の稲垣重氏に新田1500石を分与した[1]。貞享5年(1688年)2月23日に長男の重富に家督を譲って隠居した。
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系譜
父母
正室
- 稲垣茂門の娘[1]
子女
出典
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