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竹下潤

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竹下 潤(たけした じゅん、1969年7月12日 - )は、静岡県静岡市[1]出身の元プロ野球選手投手)。現在は、埼玉西武ライオンズのスカウト。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

プロ入り前

静岡市立商高では当初外野手だったが3年生の時に投手へ転向する[1]。卒業後、駒澤大学へ進学[1]。1年春からベンチ入りし、東都大学野球リーグでは在学中2回の優勝を経験。同期のエース若田部健一の控えだったが[1]1991年秋季リーグでは3年ぶりの優勝に貢献した。リーグ通算24試合に登板、6勝4敗、防御率2.36、60奪三振。他の大学同期に一塁手の上羽功晃(神戸製鋼-京都外大西高監督)らがいる。駒大では同期の若田部の他、3学年先輩に野村謙二郎、1学年先輩に関川浩一、1学年後輩に鶴田泰田口昌徳、3学年後輩に高木浩之河原純一本間満がいた。(高木とはプロで再びチームメイトとなる。)

熊谷組への入社が内定していたが、1991年度ドラフト会議にて、同僚・若田部の抽選で外れた西武ライオンズが1位指名[1]。予想外の指名であったために急遽の会見となった。入団後、投手コーチには大学の先輩である森繁和がおり、左腕不足というチーム事情から先発ローテーション入りを期待された。

西武時代

1992年7月15日の対福岡ダイエーホークス戦で初先発を果たし、5回を3失点に抑えると大学の先輩である新谷博の救援を受けて初勝利を飾るが、制球の悪さが災いしてその後は結果を残せず登板機会も少なかった。

イースタン・リーグでは1993年9月14日の対ヤクルトスワローズ戦でノーヒットノーラン[1]1994年4月26日のヤクルト戦ではノーヒットワンランを記録(失点は失策で許した走者をスクイズで生還させたもの)。後者の試合ではヤクルトの山部太がノーヒットノーランを達成しており、「両チーム無安打」の試合になった。2022年終了時現在、両チーム無安打試合は日本のプロ野球では一軍・二軍を通してこの試合のみである。

1995年には新任の東尾修監督から先発・中継ぎ・抑えと色々な場面で起用され、29試合に登板。

1996年8月7日の対オリックス・ブルーウェーブ戦では小川博文の本塁打のみの1失点に抑え、初完投勝利を記録。

1997年からは主に中継ぎに回るが、1998年10月7日の対近鉄バファローズ戦で先発登板。同期の高村祐と投げ合い、8回を2失点に抑えて勝利投手となり、この試合でチームはリーグ優勝を決めた。

2000年以降は不整脈に悩まされたこともあって登板機会が激減し、2003年シーズンオフに現役を引退。

現役引退後

引退後は大学OBが経営する仏具店・葬儀社で営業を務め[2] [3]2006年からは広域複合企業チームフェズント岩手にコーチ兼投手として在籍した。

2008年からは鈴木葉留彦編成部長に誘われ[3]、古巣・西武のスカウトに就任し[4]松本航宮川哲若林楽人蛭間拓哉などを担当[3]

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詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 28 (1992年 - 2002年)
  • 48 (2003年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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