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笠置温泉
京都府笠置町にかつて存在した温泉地 ウィキペディアから
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笠置温泉(かさぎおんせん)はかつて京都府相楽郡笠置町にあった温泉。
かつては「大阪の奥座敷」とも呼ばれ、笠置山とともに観光資源として多くの観光客を入れ込んでいた[1]が、2025年現在温泉施設は姿を消している。
炭酸飲料発祥の地としても知られる。
有市鉱泉


初期に使われていた源泉。歴史は古く、江戸期にはすでに泉源が確認されていた[注 1][2]。
明治初期に明石博高[注 2]らによって本格的な調査が始まる。当時の源泉は市街地から東に離れた川沿い(関西本線木津川橋梁付近)にあったとされる。同氏の著書によれば1872年の計測において、弱酸性の炭酸泉で、摂氏7度の状態での比重(本重)が1.0635であると記されている。また、後年に出版された『日本鉱泉誌』には泉温が64℉(18℃)であるなどより詳細な記述がなされている[2]。
当時は主に飲泉されており、胃腸への効用などを盛んに喧伝していた。1880年ごろには「山城炭酸水」として商品化され、これが日本初の炭酸飲料といわれている[3][注 3]。
浴用としての活用は1897年に源泉近くに温泉旅館が創業したことにはじまる。これがのちに田山花袋、里見弴も訪れた[4][5]といわれる「笠置館」である[注 4]。当時は水運や伊賀街道に代わり関西本線が主要幹線となり、また笠置山が国指定名勝となったことも相まって多くの観光利用があった[2][注 5]。
また大正~昭和初期のパンフレットおよび当時の写真葉書によると、笠置館の対岸に「笠置新温泉」という温泉リゾートが形成されている。これは同じ源泉を用いたものと思われるが、いつごろ造られいつごろ廃れたのか定かではない[6][7]。
笠置館では当初川船で源泉を運んでいたが、1950年にパイプラインが引かれた。しかし直後にジェーン台風や伊勢湾台風の影響でパイプが破損し、給湯が困難となったため(昭和28年西日本水害の影響で温泉のくみ上げ設備が破損したという説もある[8])笠置館では温泉の扱いをやめ、2020年に閉館するまで料理旅館[注 6]として営業していた[2]。
2025年時点でも建物は解体されていない。
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笠置大光天温泉
「笠置観光ホテル」は、笠置中心部から東に外れた木津川北岸、有市附竹地区の国道163号旧道に面した場所にあったホテル。1962年ごろに開業した[9][注 7]。
「笠置大光天温泉」なる独自源泉を1983年から開削し利用していた[注 8]。泉質はアルカリ性ナトリウム炭酸泉とされる[2][10]。
国道163号笠置トンネル開通でホテルの前の道が旧道となり、利用者減を打開する策として掘削されたという話もあるが、1990年ごろに廃業した[11]。2025年現在も建物は解体されておらず、関西でも有名な廃墟および心霊スポットとして無断立ち入りや不審火が相次いでいる[9]。
わかさぎ温泉
「わかさぎ温泉笠置いこいの館」は笠置の中心部、駅やや南にあった日帰り温泉施設。
1997年に町の出資で新たに源泉(弱アルカリ性ナトリウム炭酸水素塩塩化物泉)を掘削し開業した。2000年にピークを迎えるもその後減少に転じ、2018年からフェイセスに運営が移ったのち[12]、2019年から長期休館中である[注 9]。
地域住民からは再開を望む声も大きいといい、2022年発表の第4次笠置町総合計画において、町は再開を目指していると明記されている[13]。
交通
明治後期の関西鉄道の時代には月ケ瀬梅林とともに観光の目玉として盛んに喧伝されていた[14]。一時期は急行「かすが」[注 10]などの優等列車が笠置駅に停車したり、京都・大阪・奈良から当駅までの直通列車が運行されることもあったりしたが、1973年に湊町 - 奈良間が電化されたことで運転系統が奈良で分離され大阪市内からの直通列車がなくなり、さらに1988年の木津 - 加茂間の電化完成に伴い運転系統が加茂で分離されたため奈良からの直通列車もなくなった[注 11]。これが温泉街衰退の遠因とされることもある[15][注 12]。
脚注
注
関連項目
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