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第1次岸内閣 (改造)

日本の内閣 ウィキペディアから

第1次岸内閣 (改造)
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第1次岸改造内閣(だいいちじきしかいぞうないかく)は、衆議院議員自由民主党総裁岸信介が第56代内閣総理大臣に任命され、1957年(昭和32年)7月10日から1958年(昭和33年)6月12日まで続いた日本の内閣

概要 天皇, 内閣総理大臣 ...

前の第1次岸内閣改造内閣である。

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国務大臣

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内閣官房副長官・総理府総務副長官等

政務次官

第1次岸内閣の政務次官が1957年(昭和32年)7月16日に退任し、同日付で新たな政務次官を任命した。

内閣の動き

改造前の第1次岸内閣は、その前の石橋内閣石橋湛山首相の急病により短命に終わったことから、自民党内反主流派でありながら直前の党総裁選で僅差の次点であったことから副総理格になっていた岸信介外相が引き継ぎ、石橋系主体の政権を居抜きの形で運営した(1957年2月25日発足)。予算審議等の国会対応を終えた後の7月10日、内閣改造を行い、党内融和の象徴として石橋系から迎えていた石井光次郎副総理以外を入れ替え、総裁選で自陣営についた十日会(岸派)、春秋会河野一郎派)、周山会佐藤栄作派)を多く起用、また党務を仕切る幹事長には自派の川島正次郎を宛てたほか、総務会長には河野派の砂田重政、12月に同人の没後は佐藤本人が就任。政調会長は石橋系の三木武夫が幹事長から転じた[1]

翌1958年、野党第一党・日本社会党鈴木茂三郎委員長と申し合わせの上で衆議院解散第28回衆議院議員総選挙(5月22日投開票)では自民党は安定多数を確保(定数467、自民287、社会166、その他14)。選挙後の6月12日に第2次岸内閣として再組閣する[2]

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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