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第7回NHK紅白歌合戦
1956年のNHK紅白歌合戦 ウィキペディアから
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『第7回NHK紅白歌合戦』(だいななかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1956年(昭和31年)12月31日に東京宝塚劇場で行われた、通算7回目のNHK紅白歌合戦。21時05分 - 23時30分にNHKで生放送された。
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概要
前年に引き続きラジオ東京が裏番組で『オールスター丹頂歌合戦』を編成したため歌手の引き抜き合戦となった。交渉の結果バーターでの出演歌手が大量に出たため出場歌手が紅白各16組から各25組に急増した。以降、25組前後の出場が一般的になる[1]。
出演者
要約
視点
司会者
出場歌手
紅組、 白組、 初出場、 返り咲き。
審査員
応援ゲスト
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当日のステージ
![]() | この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 雪村いづみが、当時映画の掛け持ち出演など連日のハードスケジュールから、本番当日に急性胃痙攣に罹り出場を辞退。代役を立てる事ができず、やむなく雪村の出番を飛ばす措置を取った[注釈 2]。出場者は薔薇の花を胸につけていたが、雪村の分は盟友の江利チエミが2つ縫い付けて出演した[3]。
- 三木のり平が越路吹雪の応援にかけつけたが、客席から「男のくせに女の味方か!」と野次を飛ばされ、ほうほうの体で退場した。紅組司会の宮田輝に対しても客席から「テルテル坊主は女か!」と野次が飛んだ[4]。
- トリはともに第4回(1953年12月)以来3年ぶりに復帰の笠置シヅ子と灰田勝彦。返り咲き出場者同士のトリは今回のみである。
- テレビとラジオで同時中継されたが、VTRがなかったためテレビ映像は現存しない。ラジオ中継の音声は全145分中の約130分強が現存しており、松島の音声とエンディングの「蛍の光」大合唱の音声は現存しない。松島1人を除く他の出場歌手たちの歌唱音声は全て現存する。
- 優勝は白組(通算4勝3敗)。
- 今回使用したマイクロホンは、司会者用にNHK技研設計、はAIWA RV-A(試作品)、このマイクはのちにAIWA VM-17(BTS呼称、RV1-1A)として市販される。司会者用にRCA-77D。
後日譚
- 『オールスター歌合戦』に男性司会同士の舌戦で対抗する意味合いとして2年連続で実施した宮田輝・高橋圭三による両組男性司会は今回で終了(これは先述の宮田や三木への野次も一因とされる)、今回を最後に男性の紅組司会は第58回(2007年)の中居正広(SMAP)まで途絶える[5]。
- 司会陣が全員NHKアナウンサーで固められるケースは第52回(2001年)までなかった[6]。また、司会陣が全員男性という体制は今回以降ない。
- 翌年の第8回の司会陣に関し、高橋・石井鐘三郎は続投したものの、紅組司会は宮田から水の江瀧子に交代。宮田は第13回(1962年)でこの前年を以って降板した同期の高橋(NHK退職・フリーアナウンサー転身に伴うもの)に代わって白組司会として司会復帰している。
- 2004年にNHKラジオ第1で放送された特集番組内で、現存するラジオ中継の音声のうち、江利チエミの歌の音声が紹介された。また、2023年10月8日放送のNHK-FM『伊集院光の百年ラヂオ』では同年下期の連続テレビ小説『ブギウギ』のヒロインのモデルとなった笠置シヅ子を特集した際に、現存する音源から白組トリの灰田勝彦と大トリの笠置の歌の音声が紹介された[7]。
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脚注
参考文献
外部リンク
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