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第8回NHK紅白歌合戦
1957年のNHK紅白歌合戦 ウィキペディアから
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『第8回NHK紅白歌合戦』(だいはっかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1957年(昭和32年)12月31日に東京宝塚劇場で行われた、通算8回目のNHK紅白歌合戦。21時05分 - 23時30分にNHKで生放送された。
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出演者
要約
視点
司会者
- 紅組司会:水の江瀧子 - 女優。『ジェスチャー』紅組キャプテン。
- 白組司会:高橋圭三 - NHKアナウンサー
- 総合司会:石井鐘三郎 - NHKアナウンサー
- ラジオ・テレビ実況:北出清五郎 - NHKアナウンサー
水の江は4年ぶりの司会復帰、前回と同じく高橋(5年連続)とのコンビとなった。
出場歌手
紅組、 白組、 初出場、 返り咲き。
審査員
演奏
応援ゲスト
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当日のステージ・エピソード
![]() | この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 水の江は同時期足に火傷を負っており、当初はオファーを断っていたが、番組側からの「どうしても」との要請に折れた。本番では、舞台袖に専用の椅子を持ち込んでいた[1]。
- 小畑実はこの出場を最後に一旦引退している(後に復帰)。
- この年「バナナ・ボート・ソング」が大ヒットした浜村美智子はエルヴィス・プレスリーの「監獄ロック」を歌唱。これは「バナナ・ボート・ソング」には男性コーラスが必須だったため。当時はコーラスといえども紅組に男性コーラスをつけることができなかった。
- コロムビア・ローズはラジオ東京から掛け持ちで駆け付けたが、タクシーの運転手がトランクに鍵をかけたまま離れたために衣装を取り出せなくなり、時間が迫って鍵を壊そうとしたところで運転手が戻ってきた事なきを得たという[2]。
- ハリウッド映画『ダイ・ハード』(ジョセフ・ヨシノブ・タカギ役)などで知られるジェームズ繁田が来日して、歌手として初出場している。
- 本番直前に水の江と同席していた石原裕次郎が、水の江の誘いで雪村いづみの歌唱前に飛び入りで応援出演。多くのヒット曲を世に出した石原は歌手として紅白で歌唱することはなく、紅白出演はこの1回のみであった。
- 島倉千代子が初出場。本番中、島倉は緊張のあまり出番前に帰ろうとし、スタッフに止められたという[3]。後に島倉は、紅組歌手として最多の35回出場を達成する[注釈 1]。
- 過去2年裏番組「オールスター歌合戦」に出演していた美空ひばりが3年ぶりに復帰、弱冠20歳でいきなり大トリをつとめる。白組トリもデビュー4年目の三橋美智也で、ともに出場2回同士の対決となり、戦後デビューの若手人気歌手が積極的にトリに抜擢される端緒となった[2]。
- 7対4で紅組の勝利(通算4勝4敗)。
- ラジオとテレビで同時中継されたが、VTRがなかったためテレビ映像は現存していない。ラジオ中継の音声(全編)が現存する。
- 今回使用したマイクロホンは、司会者・歌手用共にRCA-77DX。
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後日譚
脚注
参考文献
外部リンク
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