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精錬証

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精錬証(せいれんしょう)は、大日本武徳会における表彰。事実上の称号である。精証は誤字(糸部ではなく金部)。

概要

1895年明治28年)4月17日、小松宮彰仁親王総裁として大日本武徳会が結成され、同年10月26日から28日まで第1回の武徳祭大演武会が開催された。全国から989名の武術家の参加があった。この大会で、各武術の特に優秀な人物に「精錬証」と名付けた表彰が行われた。剣術では15名が選ばれた。弓術は17名、柔術は6名、槍術は3名であった。

1933年昭和8年)まで、毎年の武徳祭大演武会において、大会終了後に審査員が評議の上総裁に具状し、精錬証が発行された。1914年大正3年)9月には「精錬証授与例」が定められ、選出の基準が明文化された。なお、大会で良い立合をすれば何回でも授与すると規定していたが、実際は1回までという不文律があり、2回授与された者はいないとされる。

精錬証は、1902年(明治35年)に「範士」と「教士」の称号が制定されるまで、大日本武徳会における最高の表彰であった。範士・教士の制定後は教士の下位となり、授与数も増えたが、それでも精錬証を受有している者は一人前の扱いを受けた。

正式に称号化すべきとの意見が多くなり、1934年(昭和9年)、精錬証に代わって「錬士」が制定され、精錬証は廃止された。称号とは別に精錬証を残す案もあったが、複雑になることを避けるため廃止された。

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第1回(1895年)

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第1回の精錬証を授与された剣道家。前列右から梅崎弥一郎小南易知三橋鑑一郎石山孫六得能関四郎奥村左近太。後列右から吉田勝見高山峰三郎松崎浪四郎香川善治郎阿部守衛原不二夫

第2回(1896年)

第3回(1897年)

第4回(1899年)

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第5回(1900年)

さらに見る 氏名, 流派 ...

授与数

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参考文献

関連項目

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